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無争かけ 3 [弓道]

今振り返ってみると、
学生時代に横一線の真一文字の大離れを理想とし、
大離れの射を目指して、何を重点的に考えていたかといえば、
妻手肘の働きだった。

妻手拳ではなく、
妻手肘を裏的に働かせ続けること。
妻手の手の内は、
弓道読本に記載されている『鉤の手の内』とすること。

その働きと手の内を、
重点的に、徹底的に練習した記憶がある。

フツウ中りを出すためには弓手なのだろうが、
自分は大学で弓道を始めた初心者。
おそらく定説通りのマトモなことやっていても成長は無いと考えた。

さらに見た目の射を考えたときに、
やはり美しい射には、
弓手と対応し、相対的に、左右対称に働く、
妻手の働きが無くてはならないと考えた。

夏合宿が終わり、1年の秋季リーグ戦が終わったあと、
まず妻手を整えることから始めた。



・・・大学生の弓道部が何で評価されると言ったら、
試合に勝つこと、全国区の試合に出て存在感を出すこと。
そのためには試合に出て中りを出すこと。
その中りを掴むためには、
当然弓手の強さ、弓手手の内の正確さが必要なことは百も承知だった。

しかし、
当時の弓道部の先輩たちは、
弓手は的に押せ以外のことは言わなかったし、
(確かにそれ以外に無いのだろうけど(笑))
弓手手の内については、
そんな手先の小細工より、カラダで弓を開くことを覚えろということを言われ、
弓手手の内に関して、詳しい指導をしてくれる人もいなかったため、
結局何をやったらいいのかがわからず、
弓手の手の内は、
どこかの本に載っていた手の内の分習と、弓返りの練習以外、
放置していたというのが実際だった。


そして、
学生時代に抱いていた野望は、
試合に勝つこと、中りを出すこと、
それ以上のものだった。


『試合における圧倒的完全勝利』


中りは無論の事、射品・射格でも圧倒的な差を見せつける。
体配の身のこなしで、他の大学に負ける訳がない。
試合での介添えの支援の力、試合のサポートにも隙を見せない。
部活の応援・矢声・仕事の質でも圧倒的な大差を見せつける。

弓道は、周囲の人の影響を受けず、人生の中で初めて自分の意志で始めた道。
自分の意志で弓道を始めたからには、
自分自身の命を賭けるという形容にふさわしい行動を起こすのは当然。
これで半端で辞めるようなら、
自分は価値の無い、タダの大バカヤロウだと自分自身に言い聞かせていた。

それでも、運が悪かったのか、巡り合わせが悪かったのか、
それとも、必然だったのか、
秋季リーグⅠ部陥落のプロセスとその瞬間を目の前で見せつけられた自分にとって、
この弓道部で何を残すかと考えたときに出てきた答えは、
自分の弓道で
自分たちのチームの弓道で
相手校の存在感ごと全て消し去ってやる ということだった。

そういう想いというか
客観的に見て、あまり良いとは言えないような野望を抱いて、
学生時代の日々の練習に携わってきたが、
仲間や部員たちには、その1/100も伝わらなかったように感じている。

伝わらなくともいい。
この部活に携わる、部員一人一人の想いはさまざまだから、
自分のこの野望を強制するつもりはない。

だが
少なくとも自分自身は、
この弓道部に存在した、その爪跡を残したい。
弓道に命を賭けた自分自身の存在を証明したい。
そう思っていたのは、確かだった。
今でもその想いは、間違いなく自分の根底に流れている。

(相手校を消し去ってやるっていう意識は、無くなりましたがね。。。(笑)
 弓道に命を賭ける自分自身の存在を証明したい、
 自分の弓道を極限まで高めるという意識は、今でも確実にあります。)



試合に勝つなんて言うのは、
アタリマエ。
中るなんて言うのは、
アタリマエ。

それより一歩以上踏み込んだ領域に、
自分自身の射を昇華させないことには、
試合における圧倒的完全勝利など達成できない。
そう考えていた。



そして学生当時、
大学で弓道を始めた初心者ではあったが、
他大学の中る選手を見ていて、
その大半は、
どう考えても我流を突き詰めて、中てているという感じにしか見えなかった。
弓手は確かに的をとらえている。
中りもする。
確かに凄いと感じたが、
見ていた射のほとんどは、
美しさのカケラもない。
合理的という言葉が全く当てはまらない。


これは 俺の目指すものではない
この中りを遥かに追い越すためには この真似をしてはいけない
直感的にそう思った。


試合における圧倒的完全勝利を心に想い描くのであれば、
中りは、
基本に裏打ちされた
射の美しさ、射の力強さが伴うべきものであろう。

そのために
まず自分自身の射を
理想とする『横一線の真一文字の大離れ』に近づけるためにはどうしたらいい?

それは、
妻手肘の働く方向を、裏的に働かせることだ
その裏的への働きを邪魔しない妻手の手の内の構成を確実にすることだと考えた。

視界に入ってこない妻手肘の方向を模索することは、
当時の自分の射にとっては、確かにプラスに働いた気がする。


弓手については、こう考えた。
試合における圧倒的完全勝利を目指すなら、
練習を毎日やるのは基本。
1日60射以上も引いていれば、
嫌でも弓手は的の方向に押すに決まってくる。
自分の視界に入ってくる弓手を、狙っている的以外のどこに押すというんだ?
矢数さえ引いていれば、弓手の意識が弱くなるなんて、アリエナイ。

この弓手の意識に関しても、
弓手手の内の知識ゼロだった当時の自分の射のレベルでは、
正解に近かったと思う。



確かに大離れの出ている感覚があった。
中りも練習量にモノを言わせてなんとか7割程度中っていた。

しかしその妻手を裏的に働かせる射を続けていて、
ちょうど主将だった3年の秋季リーグ戦前に
その自分の射のキモであった
妻手肘をひどく痛めてしまった。。。


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