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捻り 2 [弓道]

「捻り」の話をする前に、、、

「捻り」の指導を受けるため、
というより、
『戻る離れ・緩む離れの解決策についての指導』を受けられるように、
布石をしていたことがある。


かけを、無争かけから、征矢弓具のかけに変えていたこと。


愛知に転勤になって1年経過して、
戻る離れ・緩む離れは全く治ることはなかった。

『かけにチカラを預ける意識』『弓手手の内の虎口の皮の巻き込み』は、
おそらく確実に自分のモノにはなっていた。
それでも、戻る離れ・緩む離れは全く治ることはなかった。


しかし
愛知の地元の道場に行っても、
自分を指導してくれる人は、身近にはいない。

愛知の地元の道場で、
何人か自分の射を見ていた人もいたが、
自分の望む指導を提供してくれなかった。

見た目のこと、要するにうわっつらしか見られていなくて、
深堀りをするような指導には出会えなかった。

誰の話を聞いていても
直感で「これは違う」と思ってしまって、
言うことを信用することができなかった。

当たり前だ。
自分から指導を受けに行っているわけではないから、
相手も本気で指導してくれるはずもない。

自分から指導を受けに行くという選択肢もあったのかもしれないが、
このまま愛知に骨を埋めるつもりは無いため、
将来的には、愛知を離れることを考えると、
ここであまり深く根ざして、指導を受けても得なことはないと考えた。

さらに、自分は称号持ち。
称号者なら、自分の行くべき道は、
自分で考えるのが当たり前だということなのかもしれない。
おそらく自分から指導を受けにいったとしても、
「自分で考えろ」と一蹴されるだけで終わる可能性が高いと感じていた。


愛知にいる間は、
1射1射ビデオを回して、
徹底的な個人練習を積む他ないと考えた。

それなら
愛知の地元の道場で引くより、
個人練習の時間を確実にとれる道場を探したほうがいいと考えて、
練習環境の整備も始めた。


それでも、
自分がいま進む道が、間違いでないのかどうなのか?
それを1年に1回でも確認する場所が欲しかった。


それが自分にとっては、埼玉大学弓道部の夏合宿。
今でも非常に貴重な機会。

こういう場所があることが、
率直に、非常にありがたい。


学生弓道を卒業し、
大学の弓道場から離れられずに、
社会人弓道に挑戦することを躊躇していた時期に、
自分の背中を押してもらったうちの一人が
師範だった。

「あなたもやってみなさいよ」

埼玉大学弓道場で、
京都大会でそう言われたのが、
自分の社会人弓道の第一歩目だった。

それからしばらくは、
埼玉の川越の弓道場と大学の弓道場で自分の腕を磨く日々が続いたが、
埼玉大学弓道部の指導陣に加わってから、
師範からいろいろと助言を頂く機会が増えていた。

不思議といろいろ、
自分の感覚にフィットするのを感じたのを覚えている。

今現在愛知の地で、
誰の指導を受けることもない状態では、
師範の指導を受けることが、
『戻る離れ・緩む離れ』を解決するために、
自分の中に欠けている何かを探し出すために、必要なのではないかと考えた。


・・・師範から指導を頂くにあたり、
効果的な指導を受けたいと思ってみたときに、
おそらく当時使っていた
無争かけが障害になる可能性があると考えた。

無争かけを使い始めたころは、
指導する人にとっては、
どう指導したらよいのか、難しいという印象を持たれていた。

単に控えが柔らかくて、
帽子の付け根が柔らかいというだけなのに、
何か「違うモノ」を見るような目で見られていたことを思い出す。

それでも当時は、
自分の射は矢数が作ってくれるものであり、
ある程度の指導や手引きは必要だが、
結局のところ、矢数をかけて、体で覚えていくしかないので、
「違うモノ」を見る目で見られていても構わないと思っていた。

しかしもし、
この無争かけを使っていることで、
師範にとって教えづらいと思われているのであれば、
変えたほうが良いのかと考えていた。

ちょうど無争かけの捻り皮に穴が開き、
使って10年くらい経過していたので、
そろそろかけの変え時かとも思ったので、
平成15年度卒の木内くんの使用していた征矢弓具のかけを誂えることにした。


予想は的中した。


かけを変えたことが決定打だったとは思わないが、
「捻り」をかける意識を習ったのは、
征矢弓具のかけに変えて翌年の夏合宿でだった。



(つづく)

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