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無争かけ 1 [弓道]

尾方先輩の看箭への投稿文で、
森戸先生が中離れという記載をされていたが、
昔大学の弓道場にあった
森戸先生の打起し、大三、会、離れの写真を見たときに感じたのは、

(ここで言っている4枚の写真は、
 弓酔会と書かれていたものの、
 どうやら尾方先輩の所有物だったようで、
 今は弓道場には掲げられていません。
 写真の複写でも良いので、
 個人的にも、大学弓道部的にも
 再度掲げて頂ければと思っているのですが。。。)


横一線の真一文字の離れ


私は直接森戸先生から御指導を受けたわけではないので、
直接御指導を受けた方が言うことのほうが正しいとは思うが、
私が写真から感じとったのは、


四つがけ・強弓を使った豪快な大離れ


この射を目指すことを心に思い描き、
大学初心者で弓道を始めた身として、
非常に背伸びした挑戦ではあったが、
2年の後半・主将に就任したときに
直心Ⅰカーボン18kgに弓を変え、四つがけにも変えた。
大学院に入学してから直心Ⅱカーボン並寸20kgを買って、
大学院卒業後も4~5年近く使い続けた。

まったく足元にも及ばなかったが、
それ以降、森戸先生の写真の射をイメージして、
日々の練習をしていったことは間違いない。
大学・大学院卒業後も、
この射を目指していたことは間違いない。


その後、社会人弓道を本気で始めたとき、
埼玉県の範士・教士の先生から
直接指導を受ける講習会に参加したとき、
必ず冒頭で
『礼記 射義』と
吉見順正の『射法訓』を唱和する時間があった。

これは
この文章が現代弓道の目指す道そのものであり、
それを心に刻み、修練をすることが重要という話を聞いた。

その『射法訓』。
通し矢にも挑戦した吉見順正の遺訓は、


『宜しく左右に分かるる如く これを放つべし』


まさに大離れのことを指している。
通し矢という目的のために、
大離れという離れ方をすることになったという説明は
過去の書物を紐解くと出てくるが、
そうとはいえ、
大離れというものが、現代弓道の潮流になっていることを感じ取った。



大離れというと必ず行きつくのは、
山形の岡崎弓具店の無争かけだった。

月刊弓道の広告でも何回も見ていて、
このかけは一体どういうものなのだろう。。。と
ひとまず資料を郵送してもらうことに。


『控えが柔らかく、買ってすぐに使えるかけ』
『引っかかる方向に離れを出せば、離れは出る』
『大離れを目指して作られたかけ』


資料を読めば読むほど、興味がわいてきた。


そんな折、
実家の両親が山形の寒河江の親戚のところに行くので、
車で連れて行って欲しいというお願いを受けた。

岡崎弓具店は、山形の米沢。
寒河江からなら、下道で2時間見れば確実に到着する。

無謀にも、
範士八段の岡崎先生に会って、
話を聞いてみたいと思い立った。


確か、自宅兼工房に電話をした記憶が無い。
前連絡も何もなしに、
突然米沢に行ったように記憶している。

岡崎先生が居なければ、それはそれでいい。
とにかく工房がどこにあるかがわかれば、
またいつか伺うだけだということで、、、

またなんとも無謀な話だったが、
なんとその時に、
岡崎先生が居た。


工房に通して頂き、
岡崎先生の話を聞いた。

印象に残ったのは、
『世の中には道具を使うスポーツがあるが、
 慣れが必要な道具なんて聞いたことが無い。
 スキーブーツが慣れてないから使えないなんて話 聞いたことある?
 弓道のかけっていうのは慣れないと使えないなんて、
 そんな馬鹿な話があるか』


その話を直接聞いて、
妙に納得してしまった。

その場で手型をとってもらった。
四つかけが総額で14万円するものだと知ってはいたが、
(前回12万円と書いたのは、間違いでした。すいません。)
ここで買わないと、一生後悔するような気がした。

このかけで
目指すものは近づいてくるのではないだろうかと、
直感で思った。


その後。

確かに巻藁40本くらい引いてからだったが、
離れが切れるという感触はあった。

横一線の離れが実現している感触は確かにあった。
中りも7割くらいだったが、そこそこについてきた。

無争かけに変えて、
その年に五段に昇段もした。



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