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卒部 おめでとうございます [応援]

先ほどZOOMによる卒部会が終了しました。

当初
昨年同様に、
埼玉大学弓道場で卒部会を開催するという話だったので、
ぁぁ、また今年も行けないのか、、、と思っていたら、
今どきのオンラインで開催と。

正直、ちょっと、
こういった会を、オンラインで開催するのはどうなのか?
やはり会える人はFace to Faceで会ったほうがいいんじゃないのかな。。。
とも思いましたが、


実際に参加させてもらうと、

感じる空気感が
やっぱり大学弓道部。

学生のまっすぐな想いが
画面からビリビリ伝わってくる。


こういうオンラインで
何かがココロに伝わってくるってのは、
正直戸惑いを感じながらも、
埼玉大学弓道部の面々を見ていて、
ひっさびさに真っ直ぐな瞳の前に立ったような感じがして、
すごく新鮮な空気でした。


まあ よくよく考えれば ウチん中でしたが(笑)
嫁・娘どもに、スーパー銭湯行っててもらって正解だった(笑)


興奮冷めやらぬまま
ひっさびさに家でPCのキーボードをブッ叩いてます。


やっぱり
そこに集まる人のココロが、
そこに集まる人のチカラが、
部活という場所を創るんですよね。


ワタクシの信条として、
酒を酌み交わす人が変われば、
同じ酒でも違った味になる、
だからこそ楽しい。
それと一緒なんだと思いました。



卒業生の皆様、おめでとうございます。

昨年1年は、まったく弓道部としての活動ができず、
もどかしい思いをされたと思いますが、
本当に前代未聞、過去に前例のない状況下に置かれながらも、
今日の最後までこの埼玉大学弓道部に在籍し、
晴れて今日卒部したということ、
自分の誇りとしてもらえればと思います。

挨拶をする時間を頂いた際にも言いましたが、
今までも、そしてこれからの社会を動かしていくのは、
人のココロ、人のチカラです。

人のココロの状態で、
パフォーマンス自体が変わる、
ココロを良い状態に持っていけばいくほど、
弓を引くパフォーマンス自体も良くなっていくという経験を、
弓道を通して、弓道部を通してできたのではないかと思います。

そして自分自身の心を、仲間の心と合わせ、
心のベクトルを合わせて、
自分たちの決めた目標に向かって、進んでいったこと。
それは、この弓道部を通して得られた、心の宝なんだと思います。

これから皆さんは、
それぞれ違った道に進み、
会おうと思えばいつでも会えた、同期の仲間、弓道部の仲間とも、
いっとき会えなくなることもありますが、

ちょっと手続きを踏む必要は、
時間を作る、手間をさく必要はあって
メンドウかもしれませんが、

当時の仲間にあえば、
私がそうだったように、
いや、今でもそうですが、
弓道部に居た頃の自分を思い出せると思います。
明日を生きるチカラを貰えると思います。

この弓道部で自分の心を尽くして弓を引いたこと、
この弓道部で出会った仲間を大切に、
この先の各々の道を歩んでもらいたいと思います。


そして願わくば、
またどこかの弓道場で、
同じ大学の弓道部を卒業した者同士として、
心技体を共に磨きあう日が来ることを、

我々の紫の旗のもと、
共に声を枯らし(←応援・矢声出せる状況であれば(笑))
今を生きる埼玉大学弓道部の
応援・支援を共にできる日を楽しみにしています。


いつまでも懲りない
埼玉大学弓道部を愛して止まない自分も
皆さんにまた会う日まで、
弓道家として、もっと精進を続けていこうと思います。


埼玉大学弓道場で、
どこかの試合会場で、
大学弓道部のヤツラが集まる場所で
お会いしましょう!


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【祝 卒業】 [応援]

埼玉大学弓道部を卒業された皆さま、
おめでとうございます。

先日の追い出しコンパでは
卒業生ひとりひとりの挨拶で
いい話を聞かせて頂きました。

一日一生 一射一生
(これは師範のコトバでした(笑))

ATM (明るく楽しく前向きに)
(これも師範のコトバでした(笑))

奇跡を待つより 奇跡を信じて行動を起こす

筋を通す 決められたルールのなかで

ピカソのnext one

いろいろな方向からのアプローチを

欲望を 前に

time flies

自分に自分の蓋をしない

最後は自分の納得するカタチに

楽しく

初心

仲良く

自分のコトバと行動で 人に勇気を。

弓道だけにとらわれることなく。

泣けるほどの何かに出会えたこと。

16人も卒業生がいると、
いろいろなコトバが出てくるものだなぁと
感心して聞き入っていました。

しかしそれらは
大学3年間もしくは4年間の
弓道部生活を経験する中で
得たものなんだと感じました。

きっとそれは
一生を通じて
自分の心を支える
大切なコトバになることでしょう。

卒業して
いろいろな世界に
飛び込んでいくと思いますが、

皆さんには
同じ目標を抱き
心のベクトルをあわせ
共に過ごした仲間がいます。

ときに迷うこともあるでしょう。

そんなときには
仲間を、
自分自身のコトバを、
大学の弓道場を、
是非思い出してください。

自分の行くべき道を
ハッキリと思い出すことが
できるはずです。





今年の卒業生が
1年生で入部してきた頃は、
私が愛知に転勤して
1年が経過していたときでした。

遠く離れた場所から、
コーチという肩書きの自分は、
その当時の1年生、今年の卒業生と
どう接していいのかが全くわからず、
思い悩む日が多くなっていました。

道場に行ける機会も当然少ないので、
たまにしか来ないコーチをどう思っているのだろうと、
内心非常に不安でした。

仕事は予想以上に忙しく、
娘たちもまだ小さいので、
平日はおろか、
休日の練習も満足にできず、
自分自身の射を見せて、
背中を見せるということも
叶わなくなっていました。

それに加え、
自分自身の射も
あまりよい状態ではなく、
いろいろと試行錯誤を繰り返していたため、
たぶん
『あれがコーチの射?』
『あれが錬士の射?』
と思われてもおかしくなかったと思います。

今でもそうかもしれません。

週に一回以上大学の弓道場に通って、
現役大学生たちと
互いに弓道家として更なる高みを目指して
共に歩んでいくという
現役大学生に近い位置で
手助けをしながら共に成長していくという
自分が思い描いていた理想像から
どんどん離れていく実感がありました。

私自身、
やはりここでコーチを降りるべきなのか、
思い悩んでいました。





しかし

そんなときに
自分の心の中に出てきたコトバは、
やはり大学弓道部の中で聞いたコトバでした。


故・内田師範のコトバ。
『どういう形でもいいから
 弓を続けなさい。
 やめてしまったら何も残らないぞ』

ここで引き下がればゼロ。
何を掛け算してもゼロになってしまう。


自分が1年のときの主将だった
服部先輩が残してくれたコトバ。
『部員は宝だ 財産だ』
『心に夢を忘れずに・・・』
『頑張れ直樹 克己』
 (これは夜に一人でコソ練していたとき、
 記録の黒板にデカデカと書いてもらいました)

そうだ。
射術の上手下手、試合の勝敗うんぬんよりも、
まずこういう気持ちで、
仲間や後輩たちと向き合う先輩でいたいと
思っていたんだった。。。

部員ひとりひとりの最大最高の幸福とまではいかなくとも、
そんなチームを作りたいって、
夢みていたんだった。。。


1個上で、今でも弓道の師匠と言って過言ではない
藤原先輩が使っている下がけに残してくれたコトバ。
『拓』

もともと大学初心者で弓道を初めた自分には、
弓道自体が自分自身の開拓だった。

道は自分の後にできるもの。
前へ前へ。ひたすら前へ。ただ前へ。
突き進め。道を拓け。
そう気持ちを後押ししてくれた。


同期の岡村がよく言っているコトバ。
『弓道部で4年間やってきてよかったと思えるように。』

そうなる手助けをしたいって、
今でも確かにある自分の気持ち。


・・・そうだ。
現役学生のときに
自分自身が思い描いた
埼玉大学弓道部の姿を叶えられれば、
それでいいんじゃないか。

距離的な問題は、どうにもならない。
自分自身の射の状態も、今はどうにもならない。

『人にどう思われていようが構わない。
 自分の信じた道を歩いていくだけ。
 いまできることをやろう。』

そう心に決めました。

そして、
今年の卒業生をはじめ、
現役学生が
今に生きるという覚悟を決めた
必死の頑張りを見ていて、

『自分にしかできない
 弓道部の支援の仕方を探そう。』

そう思うことができました。

この数年は、
自分自身にとっても、
成長の機会だと思わせてくれたのは、
やはり埼玉大学弓道部の存在が、
皆さんのひとりひとりの存在があったからだと
思っています。


感謝


私もこの一言です。

ありがとうございました。





これから現役学生たちは、
壮大な目標に立ち向かっていきます。

おそらくいちばん身近で
今の弓道部員たちを見ていた皆さんの応援は、
とても心強いでしょう。

忙しい中で
時間を作って頂けるのであれば、
『不動心』の飾ってある
埼玉大学弓道場は
いつでも待っています。

願わくば、
紫の旗のもと、
共に同じ気持ちを抱き、
共に声を枯らす日を楽しみにしています。

また埼玉大学弓道場で、
世界のどこかの弓道場で、
Be-PLANTで、
埼玉大学弓道部の会合で、
お会いしましょう!

埼玉大学弓道部に関わった
すべてのヤツラの心の真ん中に
埼玉大学弓道部を

その夢を叶えるまで
挑戦は終わらない

我々は変わらず、
懲りずに挑戦を続けています!


 [応援]

そういえば

大学弓道部のHP上で
掲示がなかったのでお伝えします。

1年の松本くんが
秋期リーグ戦で73/80で
関東個人2位となり、
今週末11月20日の
東西学生弓道選抜対抗試合(東西戦)に
出場が決定しました!

おめでとうございます!!

皆さん、当日伊勢神宮へ向けて、魂を送って下さい!!


・・・私は前泊で
付け矢から試合まで応援してきます!(笑)


昨年四年の浦野くんが出場した東西戦は、
娘の幼稚園行事があったため、
前日付け矢しか見ることができなかったですが、
今回は全てのプロセスが見られます。

家族には感謝ですm(_ _)m
※今年の幼稚園行事は、
 再来週末なので、
 決して幼稚園行事とかを
 ブッチして応援に行くわけではありません(笑)


埼玉大学弓道部の部員が、
東西戦に出場するのを見るのは初めてになります。

非常に楽しみです。

ベストパフォーマンスを応援するのみ!!



1年生は 今年が 最後 [応援]

決勝大会が終了し、
王座に出場する代表校以外の大学弓道部にとっては、
春先から半年以上続いた試合シーズンは過ぎたことになる。

しかし
毎年と同じ日程で新人戦がある場合には、
まだ試合シーズンは終わっていないと強調したい。

今が シーズン 真っ只中。

これも最近、毎年のように言っている。


新人戦は
概ね1年生だけで構成されるチーム戦、もしくは個人戦のため、
必ずしもその大学弓道部のチームのベストメンバーではないことを考えると、
特別な、異質な試合と言えるかもしれない。

しかしこうした特別な、異質な試合であろうと、
全力でぶつかっていってもらいたい。


これから大学はむつめ祭を迎え、
おそらく今年も餅屋をやるのではないかと推測している。
1年生が主体で動くこのむつめ祭、
準備にかなり手間取ることが予想される。

その傍ら、
自分自身の射技を十分に磨き、
試合までのプロセスにおいて、
決して手を抜くことなく、
万全の状態で試合に臨めるようにしてもらいたい。

来年度から始まる試合で、
あいつらに、これからの試合で本当に勝てるんだろうか。。。と
大きな存在感を示してもらいたい。


どんな試合であろうと、
試合の大小があろうと、
その目標となる試合に向かって、
全身全霊を賭けて努力すること。

その試合当日に、
自分自身の全身全霊を賭けて、
自分自身の射をすること。

そのひとつひとつが、
自分自身を、自分たちのチームを成長させる原動力となる。

実力の有無、的中率の高い低いなんて関係ない。
結果を気にするなとまでは言わないが、
それ以上に、
本気で今に生きているか。
本気で今に向き合っているか。
それが大事なこと。

結果が良いに越したことはない。
悪い結果が出たとしても、
そのプロセスにおいて、嘘偽りなく努力したのだったら、
必ず先に繋がる一歩になる。


そこでひとつ、
自分自身の心にこう言ってみてほしい。


「1年生は 今年が 最後」


体育会系の部活に所属するような4年生は当然、
部活に所属する今年が最後の年だから頑張ろうというのは、
まあ普通なことかと思う。

しかし
1年生も今年が最後の年であることに
そこに何の違いも無い。


1年生で全関、全日、関甲信、秋季リーグ戦に出られた者、
控えの選手に選出された者は
本当にわずかだと思うが、
その者たちは、本当に
「1年生は 今年が 最後」と思って、
試合に臨んでいただろうか?
1年生だから、このくらいで、、、とか思っていなかっただろうか?

先輩たちを差し置いてでも、
今年最後の4年生を押しのけてでも、
俺が、私が、試合に出場して、
勝利を決める一本を引くんだ!と思っていただろうか?


1年生では試合に出られなかった者たちの方が
大半だと思うが、
その者たちは、本当に
「1年生は 今年が 最後」と思って、
自分自身が自分のできる仕事で
徹底的に自分のチームに貢献することはできていたであろうか?

来年からのシーズンは、今の1年生の出番だ。
それを見越して、日々練習しているであろうか?
今度こそ俺が、私が、射位に立って、
戦うんだ!と決意をしているであろうか?


中る奴らがいるんだから、
中る先輩がいるんだから、
自分は関係ないとか思っていないだろうか?

本気で伊勢に行くチーム、
全国区で勝てるチームになりたいというならば、
例えば新人戦で3人立を組んだら、
1立12射で二桁出すとか、総詰して立皆中するとか、
立に立った一人一人が
そのくらいの気概を心に持っていなければならないというのは、
今年の秋季リーグ戦を見ていて感じなかっただろうか。



君自身の成長なくして、
伊勢の道はありえない。



今という時間は二度と帰ってこない。
だからこそ、今年は最後、今に生きると強く心に思い、
部員全員のベストパフォーマンスを発揮してもらいたい。



1年生は 今年が 最後
これからは 君たちの 出番だ



・・・まあ当然、
自分自身の勉学において、
心配事を抱えている状態では、
弓道だけでなく、いろいろなことに取り組むにも、
中途半端になってしまい、
何をやるにしても、
自分のベストパフォーマンスは出せない状態となってしまう。
出席しなければならない授業や、
与えられた課題は確実にこなして、
まずは毎日を一生懸命に過ごしてもらいたい。

そんなみんなの一生懸命を応援したい、
その一生懸命に自分自身も負けないように、
自分自身も自分の一生懸命を楽しみたい。
そう考えている。

四年生が部活を続ける価値 [応援]

秋季リーグ戦が終わって、ほぼ1ヶ月が経過しようとしている。

今年はいろいろなめぐりあわせと、
家族の理解も得られた中で、
男子女子とも2戦ずつの応援が叶った。

・・・愛知から
さいたま市の埼玉大学弓道場とか、
草加とか、千葉の津田沼とか、
遠くは勝浦まで行った。
(中島さん、清水コーチ、勝浦までお連れ頂き、ありがとうございました)


フツウ考えて、オカシイ人かもしれない(笑)

だが、これまで何人のOBOGにも言っているが、
自分自身にとって埼玉大学弓道部の応援は、
サッカー日本代表や、好きなプロ野球チーム、サッカークラブを応援するようなもの。
好きなバンドのライブに行くようなもの。
どんなに遠くとも、金がかかろうとも、
旅費をかけ、観戦チケット代、ライブチケット代をかけて、応援に行く、参加する。
それと一緒。


もっとも
私よりももっとすごい人は、世の中にゴマンといる。

王座決定戦の観戦に宿泊で行ったとき、
相部屋になった九州の福岡在住の大学弓道部の監督さんに聞いた話。
大学弓道部のための、応援、付添はアタリマエ。
仕事が終わると、
ほぼ毎日大学の弓道場に行って、ひとりひとりの射をチェックする。
どうすれば中るようになるか、毎日ひたすら考える。
(・・・その人の本職が何なのか、
 非常に気になるところではあったが、聞けなかった(笑))


そんな人と比べたら、
私のやってることなんてゴミクズみたいなもんだが、
それでも、今自分が何をしたいかと考え、
今自分にできるすべてを全力でやっていることには変わりない。
それは比較するべきものではない。


自分のやっていることがゴミクズだろうが、
自分のやっていることに、胸を張っていたい。


・・・明日の11月3日の祝日は、
実は私の会社の事業所は出勤日だったのだが、
一か月以上前から、有給休暇を取っていた。

決勝大会の応援のため。

男子が出ても女子が出ても、どちらも出るのが理想だが、
どうにでもなるように準備をしておいたが、、、
結果として、有給休暇は単なる自分の休みになってしまった。。。


男子の最終戦に、家族の都合でどうしてもいけなかったことが、
少しだけ悔やまれるが、
自分自身でできるかぎりのすべては尽くした。

明日は
自分自身の練習にでも充てる一日にしようかと思っている。



さて
最近のリーグ戦には、
四年生が多く参加し、応援に顔を出すようになった。

非常に喜ばしいことではあるが、
その分、四年生自身のことは大丈夫なのだろうかと少し案じることもある。

四年生でリーグ戦に参加する者たちは、
大抵次の進路が決定している者たちがほとんどではあるので、
そこまで心配することはないのだろうが、、、


ただ
間違いなく四年生は忙しい身であることには違いない。
自分自身の将来を決める就職活動、
公務員になるため、大学院進学のための受験勉強、
理系ともなると、研究室での研究活動もある。
アルバイトを続けている者も当然いるだろう。


自分自身も理学部出身だが、
授業以外の理由では、研究室に9時に入って実験を開始するように言われ、
それが月曜日から土曜日まで続く。
私の場合、化学系だったので、
実験の内容次第では、実験が深夜に及ぶこともあり、
実験室で寝泊まりしたということもあった。

実際の実験以外にも、
3~4ヶ月に一度、
自分自身の研究に関わる英語の文献を読み、
その内容について、教授や助手の前で、詳細報告をする時間が設けられており、
(文系でいうとゼミにあたると思う)
慣れない技術英語で書かれている
全く知らない未知の内容の説明をする手段を考えるのに、
相当な時間がかかったことを覚えている。


おそらくは、
毎日こうした忙しい活動の中で、
弓道部に顔を出し、
弓を引いていたと思う。
応援に来ていたと思う。

おそらくは、
幹部を引退し、一度部活から離れ、
自分自身の弓道の射技のパフォーマンスも
ベストの時と比較すると、
決して思うような射ができなかったであろう状態で
弓道部に顔を出し、
弓を引いていたと思う。


その姿勢には、
尊敬の念を抱いた。
感動を覚えた。


おそらく、
こうした姿を、
3年以下の後輩たちは見ていたに違いない。

それが
次のチームへとつながる
第一歩になっていることは間違いない。


私自身、
『四年生になっても、
 弓を引きたいと思う気持ちが、カケラでも自分の中に残っているのであれば、
 絶対に弓を引いた方がいい。
 中る中んないなんか、関係ない。
 四年生が部活で弓を引く価値は、中りだけではない。』
というようなことを
10年以上前から言ってきた。


今年も
四年生が活躍し、
それぞれに頑張っていた。

その姿に、
拍手を送りたい。


おつかれさま。
感動を ありがとう。

次に進む    贈るコトバ [応援]

ようやく更新する時間が取れました。

というより
更新する気になった
というのが正確なところです。。。 orz


確かに最近
仕事上で忙しい思いをしていて、
昼休みも仕事をしていたような状況だったため、
とてもとても更新する時間がとれなかったのもあるのですが、


思うことが、文章にならない。

そんな1か月でした。


しかし先日
大学弓道部の追い出しコンパに参加して
大学の弓道部の皆さんに直接お会いして、
話をしてみると、
ああこんなことを考えていたっけかなぁというのものが
心に浮かんできました。


今の流れだと
200射会の話から、
私の知る過去の埼玉大学弓道部の卒業生が
どんだけ練習していたかって話にしようかと思いましたが、
話題を変えます。


尾方師範の看箭の投稿文に
私が過去に使用していた無争かけの話がありましたので、
そこに話題を変えていきます。



その前に
追い出しコンパに参加して
心に思い浮かんだことを。



卒業生の皆さん
おめでとうございます。


毎年贈り的には『今日は昨日の我に克つ』というコトバを書いていましたが、
今回は『夢』と一言書かせて頂きました。

・・・いや決して的の数が多いから、短くしようと思ったわけでは。。。(笑)


今でこそアタリマエになってきた携帯電話。
電気自動車。

もともとは
人が思い描いてきた夢が現実のものとなった
いい例ではないかと思います。


そんなことできるわけない


夢を追い続ける人は、
心無い人に
そう言われながら毎日を生きてきたはずです。

しかしその夢を抱き続けたから、
夢に向かって挑戦し続けたから、

夢に向かう人が徐々に多くなり、
その多くの人に支えられ、
夢は現実のものとなったと、
私自身は考えています。


おまえなら 絶対できる
おまえなら 絶対叶えられる
実績や根拠なんか 関係ない
夢を胸に抱いて 今に生きろ


そう私は
いつまでもエールを送りたいです。



そしておそらく
この部活に入ったことの一番の財産は
このチームで知り合った人たちとの繋がり
そして
同じ目的を共有した
仲間ではないかと思います。

自分自身は
弓道部でできた人脈が
本当に貴重だと思っています。

勇気をくれたコトバ
心に刺さったコトバ
背中を押してくれたコトバ

ふと思い出すと
埼玉大学弓道部の先輩の
仲間の顔が浮かんできます。

私自身、
大学弓道部を卒業して
20年くらいが経過しています。

仕事に就いてから
研究・試作・営業・分析と
仕事内容は変わり、
転勤を4回経る中で、
ひとつところに留まることすらできない
自分自身の存在価値なんて
無いんじゃないかと思うことは
いまでもあります。

でも自分自身の存在を
一度でも認めてくれた
大学の弓道部があったから、

当時の
大学の弓道部の先輩の
大学の弓道部の仲間のコトバがあったから、
心折れそうなときも
いまでも頑張れていると感じます。

生きていくチカラそのものを
今でももらい続けられているのは、
弓道部の先輩がいるから
弓道部の仲間がいるからだと
そう思います。

これからは
アタリマエのように顔を合わせてきた仲間は
アタリマエに会えなくなってしまう状況になります。

久しぶりに仲間と再会するには
少しの努力が必要になります。

でも
少しの努力をするだけで
間違いなく生きるチカラをもらえるはずです。

この部活で築いた和を大切に
これからを逞しく生きていって下さい。

願わくば
また紫の旗のもとで
共に弓を引き
共に声を枯らす日を楽しみにしています!



200射会 最近の話 昔話 [応援]

そういえば
昨年の夏合宿で
桐原くんから現役の皆さんは、こう指摘を受けたと思います。


『200射会というのは、
 朝の部・午前の部・午後の部で終わりです。
 その制限時間内で、何人200射を引けましたか?』



・・・これ実は、
桐原くんが主将のときに、
私が当時の現役生たちに言った言葉なのです(笑)


当時はまだ私自身も200射会に参戦していて、
OBのくせに、制限時間内に200射引き終えてしまいました(笑)

ご自分が200射を制限時間内に200射引ききっているから、
そんなことが言えたんじゃないですか?と言われそうですが、
当時のことを思い出すと、
確かに制限時間内に引き終えている人は、数人いました。

しかし、
引き終えた人が、他の人をサポートする気が無い。
200射引き終えた人だけで談笑が始まっている。
幹部や班長が、班員の矢数を把握・配慮している様子が無い。
射位に人がいない時ができる。
なんとなく矢取りの回転も遅い。
夜間の班活もあるから、そこで引けばいいんじゃないかって、
ハナから時間内に引き終えることを諦めているように感じる。。。

それで思わず、
200射会午後の部が終了したときの、
神前礼拝前の挨拶で、
ちょっとは考え直した方がいいんじゃないかと、
一石投じたことがあります。

あの時も、
指摘をすることは、あんまりいい気分ではなかったのですが、
200射会というもののあり方が、
『まるまる1日かけて、200射引けばいい』
という考え方になってきてしまっているのを、
改めた方がいいのではないかと思って、
思い切って指摘をしました。


ただこの時の部活の状態を考えると、
レシェントの道場の6+7的でも、
人数があふれるほど合宿参加者がいて、
そしてその中に私も加わってしまったため、
制限時間内で200射を引けない人も出てきているのかな。。。と思い、
それ以来、
この200射会というものを
今後存続させていくのかどうか、
本気で考えた方がいいのでは。。。と思うようになりましたが。。。


まあまさか、
当時の後輩が、同じことを言うとは、
夢にも思わなかったです。。。(笑)



かくいう私、
現役時代の1・2・3年生の時、
しかも3年生の主将のときですら、
ジツハ200射を時間内に引き終えたことはありません orz

200射会を時間内に引き終えることができるようになったのは、
OBになってからです(笑)

1年生の時は150射くらい。。。
2年・3年生のときは180射くらいで
午後の部が終了した記憶があります。

班長の時の2年、主将の時の3年とも、
班員・部活の様子を見ながら、指導しながら引いていたことや、
下級生に数を引かせる配慮をしていたりとか、
もともと取懸け動作が遅かったのも重なったというのがありましたが、
当時の副将の岡村くんから、
『なんで主将で200射終わってねぇんだよ』
と怒られたこともあります。。。 orz

※当時の主将は、
 基本的に道場に居るものだということで、
 掃除や矢取りなどの仕事をしてはいけないという規則でした。
 ・・・それなのに200射を制限時間に引き終わらないっていうのは、
 やはりどうなのかと思いますね・・・ orz



200射会と言って思い出すのは、
200射を引き終わっても、まだ引いていた先輩たちです。

1年や2年のときは、
200射は時間内に終えて、
200本以上の矢数をかけている人という先輩が大半でした。

『200射終わったのに、なんでまだ引くんですか?』って聞いたら、
確か帰ってきた答えが、
『200射会ってのは、
 200射終わったから終わりじゃなくて、
 自分の限界がどこなのかを知る機会だ』
という答えでした。

現役のときには、
時間内にすら200射を終えることができなかったので、
実際に200射を越えた矢数を引いたのは、
これもOBになってからです。
たしか220射とか248射とか引いたように記憶しています。。。



自分の中で、200射会で一番数を引いた先輩といえば、
1個上の石田先輩。
『俺は早気だから、とにかく数を引いて記録を残す』
と、私が2年のときにそう言い放ち、
午前中で既に200射終了。
午後に300本以上引いて、
確か午後の部終了時点で514本くらいを引いたと記憶しています。
(詳しい数は間違っているかもしれませんが、
 とにかく約10時間の制限時間で500本越えをしていたのは確実です。
 そして当時内田師範が、
 200射会での最高記録の矢数だと言っていたので、
 おそらく石田先輩の矢数の記録が200射会での最高記録でしょう。
 ・・・しかし今思えば、早気だとは言っても、
 頬付けまでは来ていて、そこで離してしまうという感じなので、
 胸弦と狙いさえついていれば、会の条件は満たしているように思います。
 しかし当時の石田先輩の引きは早かった。。。
 矢番え・取懸けの動作が特に早い。
 打起し・大三・引分けもあっというま。。。
 2人で個人練習をしていたことがあって、
 私が4本引き終わらないうちに、16~20本は引いていたので、
 とにかく先輩の矢をきらさないように
 矢取りが大変だったという記憶があります。。。(笑))


1個上の三浦先輩は、
『200射会じゃなくて200中会にする』とか言って、
本当に200中させて終わったような人もいました。
(確か的中率8~9割くらいだったので、総矢数は240本前後で終わったはず。。。)

私は未だに
200中会は出来たためしがありません orz
・・・16時間くらい道場に居る時間があって、
1日で300射くらい引ける体力がつけば
いつか200中会ができる日がくるのかな。。。



心に突き刺さっているコトバ [応援]

200射会というと、
自分の心の中に浮かんでくる言葉があります。

いや
200射会以外でも、
矢数がかかった練習をするときに、
いつでも心の中に浮かんでくる言葉と言っても過言ではありません。



『矢数がかかって手の内を壊すなんざ
単なるヘタクソなんだよ!!』

『100や200引いたくらいで
壊れるような射なんて
要らねぇんだよ!!』



この言葉を
1個上の男子の先輩から浴びせられたのは、
私が1年生の時の春合宿のときです。



私が3年の代までは、春合宿というものが存在していました。
その春合宿の内容というのは、
今現在、春季強化練をやっている時期(2月の末から追い出しコンパの前くらい)に、
大学構内の合宿所(プールの横の建物。今は機能しているかはわかりませんが。。。)で、
1週間合宿をするというもの。
練習メニューは、夏合宿の合同練と同様ですが、
立で1日40~50射くらいは最低引く内容(午前12~20射、午後20~32射)。
中日に四ツ矢25回、3~4人立の立射で100射引く100射会があり、
かなり矢数はかかった内容だったかと思います。

春合宿のルールは決まっていて、
大学構外に出るのは基本的に禁止。
朝昼晩の食事は全て学食。
昼、晩にはかならず揚げ物が出てくるという食事内容。
風呂は隣の学寮を使用し、
寮の休湯日は体育館のシャワーを使用することになっていました。


・・・これだけ見て、
勘のいい皆さんなら、口をそろえて言うかもしれません。


こんな合宿、する意味が無いと(笑)


現在の春季強化練も、
春季とは名ばかりの非常に寒い時期に強化練をしていると思います。
ただ、
その後の練習試合、春季トーナメント予選を見据えたとき、
新入生勧誘、大学の授業開始を見据えたときに、
春季強化練の時期に、部活を起動させる必要が出てくるため、
寒い時期にはなるのですが、
やはり追い出しコンパ前の時期に実施するのが望ましいことは
間違いないかと思います。

しかしそんな寒い時期に、
大学構内の合宿所に、わざわざ泊まって合宿をやる意味と言ったら、
朝8~9時に練習スタートとかも可能なため、
立で矢数がかけられることくらいです。
実際に、寒い時期の合宿だったこと、
さらに食事も決してバランスが良いとは言えない内容で、
春合宿で体調を崩す人が続出していましたし、
大学構外に出てはいけないというルールもあまり意味をなさないということで、
私の1個下の代で、春季強化練に変わったという経緯があります。


普段の合同練などでは
大学の弓道場の掃除をしない男子が、
春合宿では道場掃除が担当になることもありました。
(夏合宿の班分け毎に仕事が決まっていて、
 道場掃除の当番になるのと一緒です)

ただでさえ慣れない道場掃除の上、
2年生にあがる直前の話だったので、
夏合宿の200射会ほど手の内を壊すことはなかったのですが、
親指の関節の皮膚やら、小指の付け根やらが
パックリ割れることはしばしばで、
そんな状況での水仕事は、
非常に辛かったことを覚えています。

掃除が終わってすぐに初立ということもあったので、
絆創膏やテーピング、
押手かけなどの準備もしなければならないという意識が働き、
雑巾がけが終わるとすぐに救急箱に向かって、
手の内の保護を始めていた。
他の1年も何人か、同じ目的で、
わらわらと集まっていたところ。。。

「何やってんだよ」

とその先輩から一言。

その先輩の言い分では、
掃除がなかなか終わらないので、
掃除の手を止めて、1年が何をしているのかということであった。

「いや掃除が終わったら、すぐ初立なので、準備を・・・」

そこで言われた。
「ああん?
矢数がかかって手の内を壊すなんざ
単なるヘタクソなんだよ!!」



正直、理不尽だと思った。

弓道始めて1年も満たない自分自身が、
ヘタクソであたりまえ、
そんなこと言われる筋合いはないと思いながらも、
その場はぐっと堪えたが、、、

他の1年から反論する者が出てきて、
どういった経緯で、
春合宿の射数の話になったかわからなかったが、
1日に立で引く本数も多すぎる、
合宿中に、休息する時間も設けられていない、
このままでは、部員の射が崩れて、
積み上げてきたものも何の意味もなくなる。。。的な反論をしたところ。。。


そこで言われた。
「100や200引いたくらいで
壊れるような射なんて
要らねぇんだよ!!」



確かその時の言い合いは、
お互いの意見を言うだけ言って、終わっただけになったが。。。

その言い合いで、
何の反論もできなかった自分自身、
ただ言われた言葉が、強烈に心に突き刺さった。



確かにヘタクソだけど、
これまであまりにも、手の内に関して考えなさすぎだったんじゃないのか。。。
初心者だから、って言葉に、甘えてなかったか?
普段の準備が悪いから、
普段から矢数かけてないから、
こういう合宿で手の内も壊すし、
射も壊すんじゃないのか。。。

昨年指をくわえて、Ⅰ部から陥落したのが
悔しかったんじゃなかったのか。。。

あれは、口先だけの悔しさだったのか。。。?

こんな春合宿程度の矢数で負けていては、
今年のⅠ部昇格なんて、夢のまた夢。

ヘタクソとか、
脆い射なんていらねぇなんて言われないくらいに、練習しよう。
自分の目指すところは、
矢数の向こうにしかない。



それ以降、
矢数がかかったからと言って、
甘えることはしなくなった。

むしろ、
言われた言葉が自分自身の行動指針になった。


この程度の矢数で崩れるような射はいらない。
それは単純にヘタクソなだけだ。
練習が足らない。意識が足らない。
引け。
チカラの限り引け。
根性見せてみろ。


・・・しかし、
100や200引いても崩れない射、、、
どんなに練習していた時期でも、
それには到達したことがない。。。。
今まで弓道を20年以上続けてきて、
そこには到達したことがない。。。。

今でも、自分自身の戒めの言葉となって、
心の中に突き刺さっている。



・・・だが、
基本的に、
自分でできていないことは、
教えられない、意見できないと考えているし、
この心に突き刺さった言葉を、後輩たちに言う気はない。

この言葉を浴びせられたときには、
あまり気分いいものではなかった。

最近の月刊弓道で、
丁寧な教え方をしても、
その人の財産にはならない。
意地悪な教え方の方が、
その人のためにはなるという話を読んだことがある。

弓道を続けていく上で、
一生忘れられないような
強烈な言葉を突き付けてくれた先輩には感謝しているが、
この言葉を聞いたときには、
やはりあまり気分いいものではなかった。

自分が言われて、やられて嫌だったことは、
他の人に、後輩に、言わない。やらない。
自分に言われる、やられる分には、構わない。
でもそれは、自分のところですべて止めると、心に決めよう。
そうした戒めを、
心に刻んでいるつもりではいるが。。。

今の自分を振り返ると、どうなのか。。。
最近の自分は、ひとりで練習することが多く、
ひとりよがりにはなっていないか?
第3者的な視点を自分に持って、自分をよく振り返らなければ。。。


人にやさしく。
自分には果てしなく厳しく。

射は正しきを己に求む。


矢数をかけると、
いろいろな気持ちを思い出してくる。


ビデオカメラをまわし、
自分の射を常時チェックして、
もっと練習する時間を作ろう。。。

そしてようやく
週1回平日の夜に練習をしているところです。

続けなければ。



200射会 と 自分自身 [応援]

夏合宿の200射会。
仮に100射会になった場合でも。

矢数を引く射会や射込みには、
参加したいという気持ちはあります。

むしろ
自分で毎年200射を引ききって、
200なんて数は、
引こうと思えばいつでも引けるんだと
言い放てるくらいでありたいと思っています。

・・・まあしかし、
矢取りもしないOBに200射も引かれたら、
それだけで現役生の仕事の負担になると思うので、
200射会に参戦するなら、
仕事もやらなければと思う一方で、
慣れないOBが仕事をして、
結局現役生の迷惑になるだけだとも思っています。。。 orz

・・・夏合宿で、
矢数を引く射込みは無くなったとしたら、
それはそれですが(笑)


しかし最近は、
日程的に参加できないという理由もあるのですが、
200射会には参戦していません。
自分の過去の記録を見ていると、
2009年が最後です。

残念ながら、
今の自分の準備不足状態では、
200射はマトモに引けないからです。
それを体感してしまっているので、
下手に200射会に参戦はできないと思っています。
(昨年2015年は日程的に参加してはいましたが、108射で終了しています。)



2009年を境に、
200射会に参加しなくなった理由というのは、
このブログでも語ったことがありますが、
その年の200射会で、
普段使っていなかったグラス弓(永野一萃作の和弓つくり一萃並寸19kg)を使って
100射以上引き続けた影響で、
自分が既にメインで使っていた永野一萃20kg並寸の竹弓に戻したときにですら、
離れが出なくなったことに端を発しています。



もとはと言えば、
当然私も初心のときからグラス弓を手にし、
大学生・大学院生・その後卒業してからも
グラス弓(直心Ⅰカーボン18kg並寸・直心Ⅱカーボン20kg並寸)を使っていました。

しかし五段に昇段してからというものの、
全国区の大会の県代表の選考を通るためには、
竹弓以外を使用してはいけないという試合が出てきました。
さらに
錬士を受審するためには、
竹弓・竹矢を使うことが原則ということで、
竹弓を使う状況に追い込まれて、
ようやく竹弓を使いだしたという経緯があります。


竹弓を使いだして、慣れてきたところなのに、
200射会でグラス弓を使おうと思ったのは、
国体選手を目指していたからでした。

当時埼玉県の国体の強化選手になっていた頃に、
遠的の得点があまり伸びませんでした。
国体の遠的は、1mの色的で、
真ん中の黄色10点・その周囲の9点になかなか入らず、
なんとかしないと、、と思っていたときに、
その原因は、弓手が弱いためだろうと考えていたため、
この200射会の機会に、弓手を徹底的に鍛えようと思ってやったことです。

また、国体の地方ブロック大会が実施されるのは、
だいたい8月下旬の残暑が厳しい時期。
仮に選手になれたとしても、
竹弓には酷な条件になるし、
実際に関東ブロック大会で、試合中に竹弓を壊した人も見たことがあります。
さらに錬士以上の称号者でも、国体ではグラス弓を使う人を見ていたので、
もしグラス弓と竹弓を併用することができれば、
夏場でも安心して競技に専念できるのではないかと考えていたのも
ひとつの理由でした。



しかし実際に
200射会でグラス弓を引き続けたときに、
100射を越えたあたりから、異変がでてきました。

離れが引っかかる。
無理やり親指を撥ねないと、離せない。
的2個分も矢が前に飛ぶことがでてきた。。。

今でも続く、自分の持論ですが、
離れのキッカケを作るのは、妻手の親指ではありません。
しっかりと自分の矢尺をとること。
そして弓手を押し続けること。
それがキッカケとなって、
弦がかけの帽子を起こし、弦がかけの弦枕を乗り上がってきて、
離れが出るのです。
(初心のうちとか、八節の徒手練習のときには、
 親指を撥ねる意識は必要だと思っていますが、
 自分としては、親指を撥ねることに意識を取られ過ぎると、
 妻手の弾きと弓手の押しに時間差が生じて、
 (弓手の押すチカラを働かせ続けたまま、離れが出ない、という感覚)
 矢所や離れの動作自体が安定しないように感じています。
 もしかすると、私が下手なのか、
不器用なだけなのかもしれませんが・・・(笑))

しかし無理矢理妻手の親指を弾いたり、
何かやらないと、離れが全く出ず、矢が飛ばなくなりました。

その後自分の竹弓に戻して、
残りの100射近くを引きましたが、
離そうと思ったところで、全く離れが出せなくなりました。

疲れただけだろうと思って、翌日引いてみると、
巻藁でも離れが出なくなっていました。

自分の限界は突破したけど、その先の本当の限度を迎えてしまった。
という感じでした。


その後、その離れが出ない状態は、
2週間近く後を引きずり、
高校・大学弓道経験者に東京武道館に集結してもらって
お盆休みを利用して、私が主催した大会でも、
離れが全く出ない状況は続きました。

その時は、かけの弦枕を削って調整することと、
射を弓手だけに頼らず、カラダ全体を使って引いてくる意識で
何とか窮状を脱しましたが、

この頃を境に、
自分の引き方の根本を見直さないと、
この先、自分の目指す弓は引けなくなると考え、
もう一度基本に戻り、
川越に住んでいたころにお世話になっていた先生の指導のもと、
基礎を打ち立てるまで巻藁を引き続けることを決意した訳ですが。。。



こんな状態になったのは、
200射会のせいではありません。
矢数をかけすぎたせいではありません。


自分の準備が、不足していただけです。


2009年当時の練習量は、
おそらく週末土日の2日間は引くとして、
平日に引けて1日か2日、
その時の矢数は20射に満たないくらいしか引けませんでした。

だいたい市営・県営の弓道場というのは、
9~21時までの時間帯で使えるというものであり、
平日にいくら仕事を早く上がったとしても、
19時から準備開始、そこから片付けの時間を考えても、
やはり20射程度の矢数が限度でした。

週末土日には、ほとんど毎週試合が入っていたため、
その後練習できたとしても、40~60射が限度。。。


2015年の今なんて、もうひどいもんです。
仕事は、平日いくら最速であがっても、
市営弓道場が遠く、練習開始が19時半で、
何をしに道場に行くのかわからないような状況。。。

今の練習拠点の神社の弓道場に行けば、そういう状況は解消されるのですが、
どんなに仕事を段取りしても、
突発対応を迫られ、午前様になる日が月に4,5日あるような仕事内容なので、
平日はとても練習ができる状況ではありません。
休日も、子供の相手をしたいというのもあって、
土日のどちらかだけを練習に充てることしかできず、
週に1回、練習時間を確保するのが精いっぱいという状況となってしまっています。


200射会を実行するにあたって、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所(環境)』がどうしても必要になってしまうというのは、
自分の経験上、話をしていることでもあります。



・・・しかし
いくら準備をしていない状況とはいえ、
年齢とともに体力が衰えていく状況とはいえ、
200射引いたくらいで壊れてしまう射、
竹弓からグラス弓に弓を変えたくらいで壊れてしまう射というのは、
やはりなさけないと思います。

自分自身の置かれている環境を
少しでも変える努力というものが足らないのかなぁと思いながら、
仕事と家庭に追われて日々過ごしています。。。。


・・・最近は、
自分の射を見せて、率先垂範ができない私自身が、
学生時代に、何の結果も残せてない、
社会人弓道でも、何の結果も残せてない私自身が、
大学弓道部を指導する立場でいていいのか、
疑問に思うことがあります。。。

自分自身が育ち、
自分自身の生きるチカラをもらった場所を
何かしらのカタチで支援したいという気持ちには
揺るぎはないのですが。。。



夏合宿200射会について思うこと 4 [応援]

「今の部活の状態を、良く振り返ること」

200射会という
どう考えても過酷な射会を開催したとして、
その年のチームの部員は本当についていけるのか?

毎年入部してくる1年生。その中には弓を引いて数か月の人もいます。
班長を中心として夏合宿を牽引する2年生。
部活を運営する3年生。
違った立場で部活を見守る4年生。

毎年、部員は変わっていきます。
アタリマエですが、同じ人じゃないです。

さらに
夏合宿や、夏場の試合の開催日程が、
ここ数年変動しており、
夏合宿と関甲信の日程が近くなることが増えてきております。

2年前に、関甲信が近いということで、
射込みの100射会(例年の半分の射数)としたのは、
英断だと私は思います。

『毎年恒例』というのは、
聞こえはいいですが、
一歩間違えると、その言葉で、
現状を把握しようとすることを忘れてしまうことがあります。

今の部員の状態、チームの状態で、
本当に200射会でいいのか?
他の道を選択するべきなのか?
幹部はよく他のメンバーと話あって、
最終決断をしてほしいと思います。

全員で話合って、納得した結果としての選択であれば、
私は口をはさむことはしません。
その決断を支援しようと思います。



「自分たちの立てた目標を、心に思い浮かべること」

先述の話で出したラグビー日本代表の
ワールドカップベスト8という目標は、
かなりのチャレンジな目標だったと思います。

毎年ワールドカップで勝利できず、
日本の代表に選ばれるような選手でも、
諦めるという気持ちが、少なからず働いてしまうような、
そんな非常に高い目標だと思っています。

そんな高い壁を乗り越えるために、
試行錯誤をして、
新たな練習を取り入れ、それに取り組み、
自分たちの心に
『勝つためにベストは 全て尽くした』
という自信を植え付けたのだと思います。

過去に勝ったことがないと、思考が過去に引きずられそうになっても、
負けるかもしれないと、思考が未来に飛びそうになっても、
自分たちは、
国を背負うだけのチカラを持っているというプライドを打ち立て、
常に今の自分たちに集中できるような環境を作っていったのだと思います。

ただ。
この話の前提として流れているのは、
ワールドカップベスト8という『目標』です。

この壮大な目標を掲げ、
そのために、いまできること、という観点で、
それに繋がるタイムスケジュール、ビジョン、練習が組まれています。


ここで
われわれ埼玉大学弓道部に焦点を向けてみましょう。

我々の現在の最終目標は
『伊勢に 王座に出場すること』でしょう。
ここ数年は、この目標が現実味を帯びてきているように感じています。

さてそんなチームの一員が、
合同練の矢数だけでへばっているとか、
試合の20射を引いて、手の内を壊したとか、
数引いて疲れたから中らないとか、
5立目の最終立になったら、記録ミス、看的ミスを連発したとか、
仕事の質が明らかに落ちてきたとか、
試合運営、進行を手順良く進められないだとか。。。

ありえないと思いませんか?


この『伊勢に 王座に出場する』という目標は、
部会を通し、幹部の承認と同時に、
部員全員の承認を得ている目標のはずです。

年度の途中で入部する1年生は別ですが、
部員全員が集まるはずの部会の承認を受けている目標のはずです。

その目標に対して、
自分たちの全身全霊を賭けるのが、
私は普通だと思っています。

この我々がなかなか達成することができていない
壮大な目標を達成するために
自分たちに自分たちで課す一つの試練として、
200射会を夏合宿に持ってくるというのは、
意義があることではないかと思います。



そもそも、
200射会というものを、
どの代で誰が始めたのかは、未だにわかりません。

ただ私が現役学生の時、
その当時良く道場に来ていたOBや、
先輩たちの雰囲気から感じた限りでは、
おそらくこの200射会、
年間のビジョンの中のこういう位置づけとか、
この射会にどんな意味を持たせるとか、
全く考えられていなかったのではないかと思います。

私の推測では、
『他の大学とかでは100射会をやっているが、うちはその倍の200射会をやろう』
・・・たぶんそんな軽いノリで始められたものが、
なんとなく毎年辞められなくなって、
20年以上も続いてきたのではないかと思っています。


ただ私自身は、
学生時代、OBになってから、
この200射会で、
自分の可能性や、自分の射の脆さや、
仕事に対する意識や、制限時間を区切ったときの意識など、
いろいろなものを学んできました。


その200射会がなくなってしまうのは、
少し寂しい気もしますが、
自分たちの部活の状態、自分たちの目標を振り返って、
最終決断をして頂ければと、考えています。



・・・ここらへんで
200射会の賛否ついての話を終えようとおもいますが、
OBになってから参加した200射会の話やら、
いまだに自分の戒めの言葉となっている先輩から言われたキツイ一言やら、
200射会の最高矢数の話やら、
そもそも埼玉大学弓道部の部員が、どれほど矢数を引いてきているのか、
ナンダカンダといろいろ思い浮かんできたので、
もう少し話をしていこうかと思います。



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