SSブログ

夏合宿200射会について思うこと 3 [応援]

『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所』がどうしても必要になるのに、
この条件を満たしてまで、
200射会をやる価値がどこにあるのか?


200射会賛成派の私に言わせれば、
十分に価値はあると思っています。
それは、
部活として、自分たちに相当な自信がないと成立しない射会だからです。
また、
自分自身を磨くための『修羅場体験』をするには、てっとり早い方法だからです。



当然、個々人の集中力・射術・体力の耐久力を問われます。
ある程度矢数かかかっても、
崩れにくい射技、手の内・体を傷めにくい射技を持っているかが問われます。

200射会における的中率は、
概ね立や試合の的中率くらいになってきます。
各個人が、どのくらいの中りを持っているかが問われます。

矢取り・的付けなどの仕事の精度とスピードが問われます。
班長および幹部の的確な指示出しも問われます。

1年生が入部してから、
約3ヶ月足らずの短期間で1年生を鍛え上げる
2年生と幹部の指導力や、
指導方法や指導の場の設定の仕方も、その射会で問われます。

それまでの弓道部活動で
何を積み上げてきたのかの総決算が、
200射会には如実に現れてきます。

個々人と団体としての能力が問われる、
個々人と団体としての魂が問われていると、私は思っています。

自分たちの心に プライドを打ち立てる。

そういう意味を持っている射会なのだと、
私自身は考えています。


今年は、ラグビー日本代表が、
ワールドカップで大金星を挙げたということで、
非常に注目を集めていますが、
そのラグビー日本代表が行っていた練習というのを
この間テレビで見ました。

フィジカルのトレーニング、
技術的なトレーニング、
ゲーム形式の練習だけでなく、
ボクシングで体幹の筋肉を鍛えたり、
生卵でパスをして柔らかいパスワークの練習をしたり、
各選手にGPSをつけてもらって、
その選手のゲーム時の動きから練習メニューを決めるといった試みや、
ドローンを使って布陣を俯瞰的に見るといった試みや、、、、

非常に工夫を凝らし、
ワールドカップベスト8という
壮大な目標を達成するために、
考えられうることはすべて実行に移し、
国を背負うためのプライドを心に打ち立てる。
そんな練習だと、私の目には映りました。



『修羅場体験』というのは、
やらなくて済むのであれば、
やらない方がいいんではないかと思うこともあります。

しかし、社会に出てから体験したことと、
学生時代に体験したことを比較すると、
学生時代に弓道部であれだけのことをやってきたんだから、
やってやれないことはないと思ってしまう自分がいるのは、
おそらく200射会に限らず、
弓道部で多くの修羅場体験をしてきたからだと思います。

弓道部時代で経験した体力的、精神的に過酷な体験に比べると、
社会に出てから経験したことなんて
全く問題にならないと思ってしまう自分がいます。

(もっとも、就いた職の種類や業種にもよるのかもしれませんが。。。
 さすがに私も、技術職から営業職に転勤させられたとき、
 埼玉から愛知に転勤を言い渡されたときには、
 心が折れそうになりました。。。
 ただそれでも頑張れたのは、弓道部活動の経験があったからこそだと信じています。)


『修羅場体験』というのは、
これから生きていれば必ず出くわすことです。

実際の仕事でもそうですが、
就職活動でも『圧迫面接』というものがあり、
わざと負荷をかけるような状況に追い込んで、
その人の本性を引き出したり、
ストレス耐性を試すというようなことも行われているようです。

私の会社では、昇格研修などで、
インバスケットという研修があります。

突然、全く自分の仕事とは関係のないような会社で、
別の部署の部長が病気で倒れたため、
その後任を自分に命じられるという
現実では絶対ありえないような想定を提示されます。

さらにその引き継ぎで会社に来てみたが、
自分自身はあと2時間で海外出張に行かなければならず、
電話もメールもできないような状況で、
伝達手段はメモだけ。

前の部長の残していった20枚くらいのA4の紙に書かれた
未処理案件をさばかなければならないという状況に追い込まれます。

そして会ったこともない部下たちに、
それぞれの未処理案件に、メモ用紙だけで指示を出していきます。
本当に普段ではありえない想定の研修です。

しかし
こういう時間的にも精神的にも
追い込まれているところで出す指示で、
その人の個人の考え方の癖やら、
問題の掘り下げ方、問題の解決方法やら、
優先順位の付け方やら、
前述のストレス耐性やら、
これから組織において部下を動かすにあたって
必要な資質があるのかどうかということが見えてくるそうです。

これは「制限時間」が設けられているからこそ、
こういった考え方の癖や、個人の資質というものが、
書いた指示に見られてくるという話をしていました。

実際にこの先を生きるにあたって、
弓道と状況こそは違えども、
『修羅場体験』の場を設定して、
それを乗り越えた経験というものは、
大切なのではないかなぁと、
私自身は考えています。



しかし。

時間制限もあり、
体力的にも精神的にも過酷な200射会が、
今の部活を振り返ったときに、本当に適切なものかどうなのか?

部活の現状を振り返ったとき、
200射会は、
この先を向かう試合を勝ち抜くにあたって、
何か意味があるか?

そう聞かれると、
直接的な意味合いというのは無いと言わざるを得ません。

自信を植え付けるというのも、
修羅場体験の場を設けるというのも、
間接的に働くだけになってしまうというのは、否定できません。


自分たちの自信を、プライドを証明したところで、
試合には勝てるとは限りません。
もっと実践的な試合形式を繰り返した方がいいんじゃないですか?
もっと他校との練習試合を組んだ方がいいんじゃないですか?と言われたら、
否定できません。

200射会をやったはいいけど、
部員の体や射を壊すことになって、
その後の活動や試合に影響が出ませんか?と言われたら、
その可能性はあると言わざるを得ません。

合同練・試合での仕事の精度を上げる場合、
やはり実践的な作業を確認して、
繰り返し行う方がいいんじゃないですか?と言われたら、
何も言い返せません。

たしかに200射会で経験するような、
普段では絶対壊さないような手の内の壊し方をしたり、
普段では絶対痛みがでないようなところを痛めたり、
一人1回30本くらいの矢取りの量や、
ひとつかみで掴みきれないくらいの矢の束の矢拭きなど、
普段ではまずそんな状況は発生しないと思います。



それでも200射会をやるのか?



この決断をする上で、
一番気をつけなければならないのは、
「今の部活の状態を、良く振り返ること」
「自分たちの立てた目標を、心に思い浮かべること」です。



つづく。


夏合宿200射会について思うこと 2 [応援]

数を引いたことがある。
200射引いたことがある。
やろうと思えば、いくらでも引ける。

そういう経験と自信を、自分の中に刷り込んでおくのは、
弓道部活動をしていく上で、
試合に向き合う上で、プラスに働くのではないかと思います。

どんなに心理的な消耗をしても、
絶対的なスタミナがある。
数がかかっても、負けない。
競射になっても、技が崩れない。
矢数が引けるというのは、それだけで価値だと思います。


ということで、
いちどは200射なる矢数を経験しておいてほしいので、
200射会賛成という自分の意見なのですが、
一方で、そろそろ幕引きをした方がいいのかもしれないと考えているのは、
200射会を実行するにあたって、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所』がどうしても必要になってしまうためです。


仮に、
私自身が200射会に再度参加して、
矢取りなどの仕事をしながら、
時間内に終了させるとなった場合、

200射会を引き切る準備、参加する準備として、
必要だと思っているのは、
少なくも3ヵ月以上、週に3~4回以上の練習をしていること。
そのときには少なくも1日に20~60射を引いている必要があり、
その3ヵ月の間に、5~6回は、
100射とか160射とか200射の矢数をかけて、
矢数を増やしたり減らしたりするという時期が必要だと思います。

そういう準備をしていないと、
200射会で、体力はもちろんですが、
弓手の手の内(虎口、矢枕など)がまず耐えられません。
弓手の手の内の皮膚は、角質と化していなければ、
水疱とか肉刺ができて、
自分の技に集中して引くということが難しくなってきます。
それでも200射会中に、
角質となった皮膚の固い部分が、
柔らかい部分を圧迫して、
親指だの小指だのを裂傷してしまう可能性があります。
そうすると的張り・安土整備など、
水仕事にも集中できません。
行射前にかけを差すに加え、
手の内をテーピングやら押手かけやらで保護する必要がでてくるため、
時間のロスを作ってしまいます。
下手すると、
妻手の方も、かけをしていても、
弦枕の下の親指の根本の皮膚とか、
矢筈の当たる位置の皮膚とかが、痛くなってきます。
(同じことを200回も繰り返すということは、
 普段ではありえないアクシデントが起こるものです。)

個人として200射は引けても、
1日の短い時間で射会として200射を引く場合は、
矢取りもあり、その他の仕事もあり、
行射にばかり集中していられない状態となります。
射位を常に射手で埋める配慮をしなければならず、
妻手にかけを差す時間もあり、
本座で矢番えし、打起しまでの準備段階に時間をかけないようにする必要もあるので、
普段よりもハイペースで引き続ける必要が出てくるため、
やはり普通の個人練で200射引くのとは、
全く別モノになると思います。


200射会で、矢取り間に時間のロスを作らないためには、
仕事の精度とスピードが必要でしょう。

班長の「矢取り行きます」の声かけのタイミングが
数秒狂っただけで、
矢取りの回転が止まります。

200射会ですから、
矢道に矢が落ちたり、
安土で矢が寝たりは当然あります。
矢の処置を体で覚えておかず、
矢の処置はどうするんだっけ?とあれこれ考えていて、
その処置を1秒でも遅らせれば、
道場で矢を番えて待っている人を1秒以上待たせることになります。

的に風穴が開いたり、
(今は200射会でビニール的使っていますのでほとんどありませんが、
 昔はフツウに貼った的使っていたので、
 中っても音がしなかったので、交換してこいと言われたことがありました。
 その辺も現在は改良されている点です。)
的枠に矢が刺さって、
的の交換を強いられることもあります。
幹部に確認してもらわなくとも、
一発で的付けできる高さを研究して、
的付けという仕事に自信を持っていないと、
それもやはり道場で矢を番えて待っている人を待たせることになります。

安全確認ミスしようものなら、
その人本人もそうでしょうけど、
幹部や班長の気持ちをイラつかせて、
その後の部員全体のパフォーマンスにも影響してきます。

仕事の精度を欠くこと、
仕事のスピードを欠くこと、
すべて、道場にいる射手にとっては、「間延び」です。
ただでさえ体力を消耗する200射会で、
「間延び」は余計に、部員全員の疲れを呼びます。
疲れは余計に、部員全員の時間のロスを招きます。

仕事の精度とスピードを向上させ、
それを維持させる意識を持っていないと、
200射会朝の部・午前の部・午後の部で、
全員200射を引き切るなど、絶対無理でしょう。

仕事の責任なのだから、
1年生の責任であろうというのは間違いだと思います。
権限委譲という考え方もありますが、
200射の射込みの仕事を、全部1年生にまかせっきりというのは、
上級生の責任逃れにしか、私には見えません。
率先垂範して、OJT(On the Job Training)してもらいたいと思います。


ということで、
200射会を射会として成立させるためには、
まず個々人が相当な練習と準備を積んでいる必要があると思うのです。

『200射会のための練習』
『200射会のための準備』
が、どうしても必要になってしまうと考えています。


さらに
20年前の我々の学生の頃と
今現在では、
部員の総員数が全然違っています。

我々の頃というのは、
部員総数が30人越えないくらい。
5人の班が5つできたらそれで全員という時代でした。

ここ数年を振り返ってみると、
だいたい40人近くいると思います。
6~7人の班が6つくらいはできているはずです。

レシェントの道場は、
7的と6的
十分すぎるくらい広いとは思いますが、
40人近くの全員が200射引き切るには、
6~7的の道場が、あと1射場くらいは必要なのかなと思うこともあります。
レシェントの道場であれば、
巻藁をどこかに一時退避させている必要もあろうかと思います。
(巻藁引けないというのも痛いので、
 矢筒を置いてある位置に向きを変えて1台だけ設置するとか。)

200射会を実施するにあたって、
まだ的前に上がっていない1年生がいるというのは、致命的です。
今年、巻藁を引いている1人が引き終わるまで
全員取懸けを待つというシーンがありましたが、
(巻藁の向こう側のシャッターを開けていたため)
これは確実に時間のロスです。

しかし、
夏合宿でもまだ的前に上がっていない1年生がいるという
その理由というのも、
1年生の個々の努力が決して足らないわけではなく、
埼玉大学弓道場自体の収容人数がキャパオーバーしていて、
巻藁を引きたくても引けない、
引く時間が取れないというのも、ひとつの原因なのかもしれません。
(的前にすぐに上げてしまうというのもひとつの手ですが、
 埼玉に住んでいた時、
 市営弓道場の初心者弓道教室の講師だったころ、
 教室開始2回目で、全く弓を触ったことのない素人さんに
 弓に矢を番えさせて、
 矢道の半分の距離から発射させることを、やらされていましたが、
 素人さんにいきなり弓に矢を番えさせて離させるのは、
 本当に怖いです、、、
 近距離でも屋根に吹っ飛ばすのを何度も見ています。

 埼玉大学弓道部に入ったのであれば、
 本当に基礎をガッチリ固めて、
 手順を踏んで、確実に成長していってほしいと願う次第です。。。

 それでも1年生が早く的前に上がるために、
 努力をしてもらいたいというのも希望です。
 私は早く的前を引きたいということで、
 1年の5月くらい、
 当時参加資格のなかった金曜強化練終了後に道場に行って、
 先輩から『お前なんでこんな時間に来んだよ・・・』と苦笑されながら、
 巻藁500本ノルマをこなしていたこともあります。
 ちなみに20年前の的前までの手順は、
 八節→ゴム弓→素引き→巻藁500本以上→幹部の承認
 →的前100本以上・巻藁100本以上→幹部の承認→合同練で立に参加可能
 というシステムでした。
 この手順を私自身、4月アタマ入部で5月末には終わらせていました。
 それで6月の南関東四大戦に個人出場しています。
 かけを変えたときに巻藁200本引いた後に、
 幹部に承認を受けるというかけノルマというシステムもありました。
 私は主将のときに四つかけに変えて、副将に承認を受けたということもありました。)



ということで、200射会を実行するにあたっては、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所』がどうしても必要になってしまうのですが、

この条件を満たしてまで、
200射会をやる価値がどこにあるのか?
というのが、
今後200射会の幕を下ろすのか
続行するのかの最大のポイントになると思います。



つづく。

夏合宿200射会について思うこと [応援]

戸狩温泉郷のレシェントの毎年の夏合宿。

調べてみたら、ワタクシ、
どうやら2004年から連続して参加しているらしいです^^;
11年連続か。。。

毎年毎年、学生の皆さんには、本当にお世話になってきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。

私がOB 2、3年目くらいの頃に、
山田監督が『これで大学の合宿は十数年連続で参加している』ようなことを聞いて
驚愕を受けたことを今でも覚えていますが、、、
私も、同じ、でした(笑)


そしてその11年間毎年参加した合宿のうち、
200射会に参戦したのは、
2004~2009年で6年連続。

この6年間は、
現役学生の皆さんの仕事のおかげで、すべて200射を引き切っています。


毎年恒例となっているこの200射会ですが、
私個人としては、
そろそろこの射会自体の意味を、
問わなければならない時期に来ているのかと思います。

そもそも、
どこの代が、いつ、200射会というものを始めたのかは、
未だに謎です。

ただ、
私より前の代で始められたのは間違いありませんので、
20年近く続いている行事だということは、
間違いありません。



私は、200射会賛成派です。

しかし、
現在の部員数、部活を取り巻く環境、
学生が考えている弓道・射の組み立て方、
夏合宿の日程を見通した時の200射会の役割、
もっと言うと、
1年の活動を見通した時の200射会の役割というものを
再考する必要があるのかと思います。

それらの環境を考えたときに、
200射会というものの意味が無いというのであれば、
長い歴史に幕を下ろし、
何か別のイベントを考える方がいいのかと思っています。

・・・とは言っても、
夏合宿というものは、
長いスパンで、1日中弓道にどっぷり浸かれる機会です。
こういう機会は、自分自身で作ることもできますが、
現在の学生の皆さんは、
勉学・アルバイト・その他の影響で
1日弓道しかしなかった、という時間を作るのは、なかなか難しいと思っています。
そういう機会に、
一日は矢数をかけるイベントは必要だとは思っているので、
200射会を実施しなかったとしたら、
射込みで100射を引く(要するに200射会を100射会にする)、
立で100射引く、
東京都学生弓道連盟主催で5月に実施されている
100射会(女子は50射の記録会)を真似てみるなど、
カタチを変えたものにした方がいいというのが、私の意見です。



まず、私自身が
200射会賛成派ということに関する理由を述べていきたいと思います。

理由は、
単に200射を引いたということが自信につながるから。
自分の限界を越えたとしても、弓は引ける、
自分の限界は自分で線を引くものではないということを体感してもらいたいからです。


まずもって、
『埼玉大学弓道部では、夏合宿に200射会というものがある』という話を
学生弓道経験者に話すと、
かなりびっくりされます。

私の聞いた話ですが、
個人練習として200射、300射引いたことがあるという人は、
これまでたくさん聞いたことがあります。
とある一人は、1日に500射引いたことがあるという話も聞いています。

それを、
部員全員で200射を引くという
『「射会」として成立させている』ということに
びっくりするのではないかと思います。


私自身も振り返ると、
こういった200射会というものがなかったら、
それ以降200射を引くという機会は
絶対なかったと思います。

全員で200射を引き切るぞと言われて、
200射を引かなければならない状況を作り出されたから、
200射を引く経験ができたと思っています。

皆さんもご存知だと思いますが、
私は大学で弓道を始めたクチです。
そんな弓道始めて半年も満たない、
それまでに1日に引いた最高矢数はせいぜい60射程度。
そんな何も知らない状態で200本も引かされたんですから、
たまったもんじゃありません。
200射なんて、想像を絶すると思っていました。

毎年夏合宿で200射会前後になると話をしているので
知っている方もいるかもしれませんが、
私は1年生のときの200射会で、
弓手の手の内をひどく壊しています。
(1年生のときの合宿は、今のレシェントではなく、
 山梨の河口湖付近の弓道場付きの宿だったと記憶しています。)

100射越えたあたりから、
親指と人差し指の股(虎口)が、鉄棒で水膨れができたときのようになって、
全部水疱になりました。
押しづらいので、その水疱を破って20射くらい引いたら、
今度はその皮がめくれてしまって、
邪魔で仕方なかったので、
痛みはあったのですが、
その皮を爪切りかハサミで全部切除しました。

皮の下の赤い部分がむき出しになって、
あれは本当に痛かったです。

それを、絆創膏を3枚くらい並べてはって、
テーピングで保護して、
さらに親指だけにかぶせる押手かけを先輩から借りて
(返せない状態になってしまって結局もらった(笑))
それで、矢取りをしながら、引きました。

結局時間内には終わらず、
たしか40~50射残った状態で、
2年の先輩に矢取りをしてもらいながら、
先輩たちに導いてもらいながら、夜の班活で引いた記憶があります。
時間内には終わりませんでしたが、
リタイヤせずに最後まで引き切れたことは、今でも心に残っている財産です。

(ちなみに的中率は、20~30/200とか2割満たなかったはず。。。
 当時13キロの弓をヒーヒー言いながら引いていたはずなので。。。
 しかもその弓というのが、かなり古い錬心で、
 弓力は重いくせに、まったく矢飛びが出ず、
 安土に届かない矢が大半、矢道で落ちた矢もかなりあった気もします。)

私の弓道人生、
先にも後にも、
弓手の手の内がこれほどの惨状になったことはありません。

しかしそれ以降の記憶として残っているのが、
弓手の手の内が全く使い物にならなかったにも関わらず、
200射会以降の日程で、わずかに的中率が向上してきたことでした。

相変わらず絆創膏+テーピング+押手かけの状態で、
弓のチカラを受けるのが精いっぱいっていう状態だったはずなのですが、
そんな状態でも、的の周りに矢が飛び始めてきました。

そしてその夏合宿の例会で8/20を出して、
当時の公式練習・例会の自己新で、
下がけをもらったと記憶しています。

・・・全く自慢できる記録じゃないですが(笑)
この経験から、
『弓って、
 手先のチカラなんて必要ねぇんだ、
 カラダをどう使うか、カラダに近いところをどう使うかがキモなんだ。
 手先の技術なんて、あんまり関係ねぇんだ、
 気合とかガッツってものだけで、なんとかなってしまう。
 学生弓道は、9割が気合だ。気持ちの持ち方だ。』
というものが
心の中に植え付けられました。

この夏合宿を境に、
自分自身の弓道への取り組み方が変わっていったように感じています。


まあ本当に私自身、
謙遜するでもなく、
弓道のセンスはゼロだと思います。

最近の現役学生の皆さんを見ていて、
基本的な技術のベースが、学生当時の私よりも格段に上手く、
まあこんな手の内の壊し方するのは、
俺くらいだよなぁ・・・と思っています(笑)


しかし、
200射会という
強制的にでも矢数を引かなければならない射会があったからこそ、
自分で自分の壁を感じたとしても、
ひたすら壁を叩き続けて、最後には絶対壁を叩き潰すことができるという信念が、
心に打ち立ったと思っています。

200射会で、
部活の先輩やみんなに支えてもらったから、
自分自身の限界を自分で作らずに、やってやるという信念が、
心に打ち立ったと思っています。


まあ、後輩たちには、
私のように、
手の内をひどくぶっ壊すような、痛い思いはさせたくはないですがね、、、(笑)



つづく。

不動心 3 [応援]

前回で不動心の話題を〆ようかと思ったが、
先日尾方前師範から、1通の手紙を頂いた。

そこには、埼玉大学弓道部第2代および第4代部長を務めて頂いた、
大野直治先生の文章が同封されていた。

大野先生は、私が現役学生の時に、弓道部部長だった。
記憶に残っているのは、私が1年生の時の話。
1年生のときに、関甲信の主管校となり、
大宮公園が会場だった。
大学の弓道場から、的やら何やらいろいろと搬入作業などを終えて、
帰宅しようかと思っていたときに、
私を含めた1年生3人くらいを、大宮駅まで車で乗せて頂いた記憶がある。
その時、何を話したかは覚えていないが、
その記憶だけはハッキリと残っている。

その大野先生が、10周年記念の文集に投稿されたという文章。
ここで紹介したいと思います。
文章は忠実に転記したつもりです。


時はよどみなく流れ去り、埼玉大学弓道部も創立以来、十年の歳月を数えました。
この間の苦難の歴史は昨年停年退官された初代部長工藤進教授(現国士舘大学教授)の「思い出」の一文に極めて謙虚に語られております。我弓道部が立派な道場を持ち、そこで今日部員各自が互に修養に努めることが出来ますのも、ひとえに森戸先生ご夫妻、工藤教授並びに弓道部の先輩の方々の弓道に対するご理解と心からなるご指導の賜と我々一同深く感謝しております。
これより先、我々に残されている課題は、いかにしてこの弓道部をたくましい不動心をもったものに育て上げるかであります。誠に困難なことでありますが、部員各自の修養を通しよくこの課題に応え、もってこれまでのご恩にむくいる所存であります。
 今過ぎし十年を一区切りとして、決意も新たに明日への第一歩をしるすに当たり、ここに記念集を刊行し将来への輝かしい発展の基と致し度く存じます。
 何卒、今後共倍旧のご指導、ご鞭撻をたまわりますよう心よりお願い申し上げます。

 昭和四十五年五月
                                埼玉大学弓道部長 大野 直治


『いかにしてこの弓道部をたくましい不動心をもったものに育て上げるか。』

このメッセージが書かれたときから、実に45年。
これまで埼玉大学弓道部に関わった部員たちへ問い続けたメッセージでもあり、
今、埼玉大学弓道部に携わる我々に問われたメッセージだと思う。


弓道の技術の上達とか、
的中の向上を目指して練習するとか、
弓道競技で優秀な成績を収めるとか、
大会で優勝するとか、
試合で勝利を続けるとか、
王座に出場するとか、伊勢を目指すとか・・・

そういった目標を達成する前提・土台として、
『心』というものの存在に気づき、
心の在り方というものを考え、
部員個々の『不動心』を、
チームとしての『不動心』を造り上げ、育てること。

20年以上、この不動心の額を見続けてきて、
不動心のとらえ方を考え続けてきた自分には、
大野先生の言葉は、こういうメッセージだと考えている。


間違えているかもしれない。
自分勝手な解釈だといわれるかもしれない。

しかし、不動心のとらえ方は、
ひとつだけではないと思う。

私自身、この不動心の額を見るたびに、
その時々でいろいろな想いを抱いてきた。

各自の解釈の仕方やとらえ方は、
その人それぞれでも良いと思う。

その向かっている心のベクトルさえ一緒であれば。
向かう先の大きな流れが一緒であれば。


埼玉大学弓道部に関わった者たちの
最大幸福を常に求め続けること。
部員そのものが財産であり、宝であり、
その部員を常に大事に思うこと。
埼玉大学弓道部に関わった者たちが、
その時々で、人として成長を続けること。
埼玉大学弓道部が、
関わった者たちすべての心の真ん中であり続けるような、
魅力を持ったチームであり続けること。

埼玉大学弓道部が
関わった者の心の中で、
いつまでも輝き続けることさえできれば、
いろいろな解釈の仕方があってもいいと思っている。


チームは、
同じような人間・同じような考えの人間が集まってチームになるわけじゃない。
違う人間、違う考えの人間が、
同じ理念・理想・目標のもと集まり、
お互いの考えを突き合わせ、
最良の道を選択しようとするから、
自分たちの信じた道を走り続け、
上級生から下級生にタスキを繋げようとするから、
初めてチームのカタチが出来ていくと、私自身は信じています。


皆さんの中の不動心とは何か?

『不動心』の額を見ながら、
思いを巡らせてみてください。

それは必ず、
部活を素晴らしいものにする原動力となると、
私自身は信じています。



さて、
次は、
夏合宿の200射会について思うことを書き綴っていこうと思います。

不動心 2 [応援]

「不動心」の言葉の意味を調べると、
・他によって動かされることのない心。動揺することのない精神。(デジタル大辞泉)


確かに、他に動かされることのない心を持てれば、
揺るぎない心を持てれば、いいのかもしれない。

ただ、自分の経験だが、
選手選びをする立場で、候補者の的中が目まぐるしく動く環境。
どんなに矢数をかけても、最善を尽くした練習をしていても、過去の経験からくる不安。
今後の先の見通しをたてたときの不安。
弓道以外での余計な心配事が、行射中にも思い浮かんでくる。。。
自分の意図とは反したことを言う先輩や後輩。。。

確かに、
弓道以外ことに、ほとんど目をくれなかったのは事実。
でも、弓道に携わる中で、
揺るぎない心なんて、程遠かった。。。

それは、
自分の心の弱さなのか、、、自分が情けないからなのか、、、と考えて、
さらに自分を奮い立たせたこともあるが、
結局、自分の心は、環境・経験・他人に依存して、動かされっぱなしだった。

こういう自分は、ダメな人間なのだろうかと考えたこともある。


でも、
心を持っている人間というものは、
揺れ動く心を持つもの。

そういうものだということを
ごく最近気づき始めてきた。


人の心は
環境・経験・他人などの外部要因で、常に動いてしまうもの。

そういう外部要因によって、
何故心が動かされてしまうのかというと、
人は、
意味が無いものに、余計な意味付けをしたり、
外部要因に、心が過剰な反応をしてしまうから。


一番良く示される例としては、雨。
今雨が降ってきました。というとき、
おそらく真っ先に「嫌だなぁ~」と考える。

でも、よく考えてみると。
本来「雨」に「嫌だ」っていう意味はついていない。
そこに体が濡れるからとか、弓具が濡れるから、
もっと雨が降ってくると、道場の天井から雨漏りがするから、
道場の玄関が水たまりになるから、
嫌だなぁ~と思ってしまう。

雨が降ってきたと「認知」したら、
傘をさす、弓具を移動する、雨対策をする。
それだけでいいはずなのに、
人間というのは、ここで「嫌だなぁ」と「意味づけ」をしてしまう。

その「意味づけ」したことに、
心が振り回されて、
自分の心が揺らぐ。とらわれる。
結果、そこからのパフォーマンスは落ちる。


「認知」とか「意味づけ」が、
いいとか悪いとかという話ではない。
人であれば、当然そういうものである。


過剰に「意味づけ」をしている自分に、気づくだけでいい。
その「意味づけ」によって、
必要以上に心を持って行かれていることに、気付くだけでいい。

そのことに気付くと、
自分が何に心を持って行かれているのかに気付く。

原因らきしものに気づくから、気持ちの切り替えが早くなる。

表情・態度・言葉・思考を自分自身で選択していけば、
過剰な「意味づけ」をすることも、
その「意味づけ」に心を振り回される程度も少なくなる。


不動心を得るためには、
常に動いていく心に気づき、
その時々の心の状態を、まず見つめること。

心の切り替えを早くし、
心の動く程度を最小限に抑え、
その結果としてパフォーマンスが向上するという
その一連の流れを作ることという
意味にとらえてもいいのかもしれないと考えている。

不動心 [応援]

これは埼玉大学弓道部の上座に掲げてある額の言葉。
この学を書かれたのは、
尾方前師範の「創部50周年に向けて」にも詳細に記録されているが、
埼玉大学の3代学長(昭和35年から41年の任期)藤岡由夫先生である。

先日、会の頬付の位置やら
肩の内巻きに関する記述を調べるため
「現代弓道講座2 射法編(上)」を手に取る機会があったが、
ここに挟まれていた月報という冊子に
藤岡先生が投稿した「弓道を推奨する」という文があるのを発見した。

この話も尾方前師範の「創部50周年に向けて」のP14に記録されているが、
まさか原文を発見するとは思っていなかった。

それによると藤岡先生は、
全日本学生弓道連盟の会長を務めていたとのことであった。
ネット検索すると
確かに二代会長(任期:昭和38年~44年)として
名前が挙がっている。

「他の武道場が次々とできる中で弓道場だけがない。
私はどうしても弓道場をつくりたかった。」

昭和43年の埼玉大学弓道場道場開きのときに
藤岡先生はこう挨拶されたという。

藤岡先生に是非お会いしてみたかった。
・・・昭和48年生まれのワタクシ、生まれてないですからねぇ。。。(笑)



さて話をもどして。

現役の時から、この「不動心」の額を見るたびに、
弓道には、心の在り方が重要なのだろう。
ただ、この不動心とは、どう解釈したらいいのだろう。。。
そう考えていた。

自分が2年生のとき、
3年主将のときには、
目の前のことに集中して、
部活のことに専念して、
試合に勝利するためのこと、
部活を一つにまとめること、
自分自身の射技を向上させること以外に心を向けないように、
ひたすら弓道に打ち込むことなのかと考えていた。

弓道から、弓道部から、
離れず動かない心を持つこと。
絶対の揺るぎない心を持つこと。
こんな解釈を持っていた。

ここでも何回も書いているが、
当時を振り返ると、
完全に弓道を生活の中心においていた。
本文の学業は、とりあえず単位を落とさない程度に頑張ったが、
弓道に賭けていた想いは、計り知れない。
当時のあんな力がどこから出てきたのかと、
今考えても不思議になる。

弓道場に一日16時間以上いた日は数え切れず、
暑い夏も、
床が冷えて足先の血がシャーベットになっているんではないかというくらいの凍りつくような冬も、
平日バイト帰りの22時から2時を練習のコアタイムにしていた時期もあった。

学業・遊び・バイト・飲み(笑)の他、
弓道以外のことをやっていた記憶がない。

視線はとにかく前。
他のことにはまったく目にくれず。

命賭けという形容をしても、まったくおかしくなかった。

「不動心」の額を見るたび、
自分は不動の精神を抱いているか?と
自分に問いかけながら、弓を引いていた。



でも。
最近になって、
この不動心の意味のとらえ方は、
間違っているわけでもなかったが、
別のとらえ方があるんではないかと考えている。



自分のように、
弓道を大学で始めて、
弓道のセンスはゼロ、単なるヘタクソが、
どうしても目標を達成したい、試合に出て負けたくないって思っている場合には、
自分の精神をすり減らすくらいの気合いで
絶対ゆるぎない心を持つって考えるのは、
一つの手段だとは思う。

でも、これは、
常に弓道に対して苦しいという印象をつけてしまう。
結果が出るまでは楽しいという感覚がなくなってしまう。

でも結果というのは、
ひとつ出た瞬間から、また次が始まっていく。
次もその結果は保障されてはいないので、
また心が苦しくなる。

常に弓道に対して、苦しいという感覚が離れない。。。
これでは、弓道に携わっていて、
自分の心が常に苦しい方向に追い込まれていくだけで、
弓道が好きなのかどうなのか、わからなくなっていく。。。



人の心は、
環境・経験・他人によって、常に動くもの、揺らぐものだ。
動かないなんてことは、まず無い。

だけど、
その心の揺らぎが大きくなればなるほど、
弓道でいえば、射のパフォーマンスは、確実に落ちる。
中りも確実に落ちる。

だが、
その心の揺らぎは、最小限にすることはできる。
考え方ひとつで、気持ちの切り替えを、早くすることはできる。
環境・経験・他人といった外部要因に、動かされにくい心を持つこと。
そんな解釈を持っている。



つづきます。

 [応援]

今を一生懸命に生きる
今やるべきことに集中する


こんなことをワタクシは、
前期に大学の道場に伺った際に、
夏合宿に伺った際に、
言ってきました。


過ぎ去ってしまった過去にとらわれず、
まだ来てもいない未来に心揺らがず、
今に生きる、今に集中する。
今の仕事に集中する。
今の射に集中する。
今ここでの応援・啼きに集中する。


これまで現役の皆さんは、
お世辞抜きで、
素晴らしい成績を上げてきたと思っています。

でもそれは、
そのときそのときの今に集中していたから、
そのときそのときのベストを出そうと必死になって頑張っていたから、
それにふさわしい結果がついてきたということです。


過去の戦績は、よくも悪くも、もう過去のもの。
それに執着して、
俺たちは強いはずだ、我々は強いはずだ
もしかしたら俺たちは弱いのかも。。。って言っているのは、
それは、既に過去にとらわれている証拠です。


これから迎える試合も、
勝てる相手なのかどうなのか、
そんなことに考えを巡らせているのは、
それは、未来に自分の心が持ってかれて、
今やるべきことが見えていないことだと思います。



今が大事、今が大切、今こそすべて。



今を大切にして、
これからの練習・試合に臨んでいってほしいと思います。





ところで。
今が大事、今が大切、今こそすべて。


そう考えることだけでも、
実は心の状態って変わると思います。


『今』 というコトバを頭に思い浮かべてみてください。


それだけでも心に変化があると思います。
心がいい方向に向かうと思います。


思考を変えるだけで、心の持ち方は変わります。
心が変化すれば、発現するパフォーマンスは変わります。


いい表情・いい態度・いい言葉・いい思考を選んで、
自分の心を自分自身で決めて、
これから向かう道を進んで行ってほしいと思います。






がんばろうKOBE [応援]

またプロ野球の話題から。

ワタクシ自身、
特にどこのプロ野球球団が好きとか嫌いとかはないのですが、
選手のテレビのインタビューをテレビで見たりとか、
監督さんの書いた著書などを読む機会とかがあって、
心の置き方というものに関して、
いい考えを持っているなぁと感じることが多いです。


前回イチローさんの話題を出したので、
この表題についてちょっと。


この表題のキャッチフレーズ自体を
現役学生のみなさんは聞く機会は少ないと思います。
なにせ20年前の1995年のときの話ですから。。。


20年前。
阪神・淡路大震災が起きました。

被災地の神戸を本拠地とする当時のオリックス・ブルーウェーブは、
そんなとき、
「がんばろうKOBE」
というキャッチフレーズを掲げ、
復興を目指す神戸の街で開幕戦を開催し、
その後も快進撃を続け、
リーグ優勝をするという快挙を成し遂げました。


当時はイチローさんが、
ルーキーとして脚光を浴びた時期であり、
ほかにもいい選手がいたからこそ
リーグ優勝ができたのだと思いますが、
いい選手・強い選手がそろっただけでは、
そういう結果にはならなかったのではないかと思います。


当時大学院生だった私自身は、

『多くの心のベクトルを合わせる コトバのチカラって すげぇな・・・』

って思っていました。


当時を振り返る今でも、そう思っています。



違った人間が、同じ信念のもとに力を合わせるから。
違った人間が、同じ目標のために集まるから。
化学反応が起こっているのではないかくらいの
すげぇチームが生まれるのではないかと思います。



自分たちを支えている信念を
自分たちが掲げている目標を
もう一度各人が、
選手であろうが、控えであろうが、介添えであろうが、
試合をサポートする立場であろうが、
再確認してみてください。



自分たちを結びつけているコトバ。


それは部活の活動方針のコトバではないかと思います。



我々の 心は 一つ



これからも遠く愛知の地で
応援しています。

埼玉大学弓道部を心の中に置いて
エールを送ってくれる懲りないヤツラどもを増やす努力を
これからも怠らずに、
日々過ごしていきます^^


失礼いたしましたm(_ _)m [応援]

前回書きかけで保存してしまったようです。。。 orz


改めまして


『地に足をつけて闘うこと』


このコトバは、ワタクシが主将だったころに、
プロ野球の日本シリーズに出ていた西武ライオンズの森祇晶監督のコトバ。

これを聞いた当時は、
ワタクシが主将だったときに、
リーグ戦まっただ中だったか、始まる前だったかで、
相当心に突き刺さったコトバでした。

確か秋季リーグ戦が始まった当初は、
部員のことであれやこれやを気を使うことが多く、
自分の射技にも不安を抱えている状態で、
とても落ち着いた心境になんかなれず、
あがいていたというコトバがぴったりくる状態だったと思います。

そんな時、
何気につけていたテレビを見ると、
西武ライオンズの監督のインタビュー


『日本シリーズを迎えるにあたって、どのようにお考えですか?』
というような質問に対して、


『もう ここまできたら じたばたしても 仕方ない
 地に足をつけて闘う それだけですよ』


当時の西武ライオンズは、
オリックスブルーウェーブのイチローが活躍する数年前で、
常勝軍団と言われている時代のまっただ中だったように記憶しています。

戦力的にみてどう考えても勝てるようなチームを率いていても、
心に揺らぎやとらわれが生じていては、
勝てるものも勝てない。
そう考えていたのかもしれません。


とにかく、まずは落ち着いて、
自分の足でしっかりとその場に立ち、
平常心で試合に向かうこと。


さらに弓道では
足踏み・胴造りという節が存在する。

そこで地にしっかり足をつける。
選手になったら、その立にしっかり立つ。
部員全員が、練習の場に、試合の場に、立ち続ける。
幹部であれば、チームの中心に立ち続ける。


自分自身を床面と支える接地点は、
足の裏の2点だけしかない。

逆に言えば、
地に足をつけることを大切にすれば、
そこから不動心が生まれる。
心がいい方向に傾く。
パフォーマンスも上がる。


まずは
お心平らかに いざ尋常に勝負なり


応援し続けています。

あっというま ⇒ 地に足をつけて [応援]

先週大学の道場にお邪魔できたと思っていたら、
もう秋季リーグ戦の時期に突入ですねぇ。。。

夏合宿の200射会について思うことや、
あれやこれやといろいろと頭の中には浮かんでは来ていることがありますが。。。

やはり書き出すと超大作になってしまう予感がいたしますので、
書き出す時期は慎重に選ぼうかと思っています(笑)

さらに休み前に
自分の直面している技のことを
(胸をひらくだの、目づかい、息合い、心気の働きだの。。。)
書こうとしていたこともあったと
つい最近気づいたのですが、
あまりリーグ戦向きな話題ではないので、
これも冬に持ち越そうかと考えています。


ということで


秋季リーグ戦の時期に、
現役学生のみなさんに毎年言ってきたこと、
自分の心に思い浮かんだこと、
今伝えたいことなど、
そんなことを書いていってみようかと思います。


まずは


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。