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【祝 卒業】 [応援]

埼玉大学弓道部を卒業された皆さま、
おめでとうございます。

先日の追い出しコンパでは
卒業生ひとりひとりの挨拶で
いい話を聞かせて頂きました。

一日一生 一射一生
(これは師範のコトバでした(笑))

ATM (明るく楽しく前向きに)
(これも師範のコトバでした(笑))

奇跡を待つより 奇跡を信じて行動を起こす

筋を通す 決められたルールのなかで

ピカソのnext one

いろいろな方向からのアプローチを

欲望を 前に

time flies

自分に自分の蓋をしない

最後は自分の納得するカタチに

楽しく

初心

仲良く

自分のコトバと行動で 人に勇気を。

弓道だけにとらわれることなく。

泣けるほどの何かに出会えたこと。

16人も卒業生がいると、
いろいろなコトバが出てくるものだなぁと
感心して聞き入っていました。

しかしそれらは
大学3年間もしくは4年間の
弓道部生活を経験する中で
得たものなんだと感じました。

きっとそれは
一生を通じて
自分の心を支える
大切なコトバになることでしょう。

卒業して
いろいろな世界に
飛び込んでいくと思いますが、

皆さんには
同じ目標を抱き
心のベクトルをあわせ
共に過ごした仲間がいます。

ときに迷うこともあるでしょう。

そんなときには
仲間を、
自分自身のコトバを、
大学の弓道場を、
是非思い出してください。

自分の行くべき道を
ハッキリと思い出すことが
できるはずです。





今年の卒業生が
1年生で入部してきた頃は、
私が愛知に転勤して
1年が経過していたときでした。

遠く離れた場所から、
コーチという肩書きの自分は、
その当時の1年生、今年の卒業生と
どう接していいのかが全くわからず、
思い悩む日が多くなっていました。

道場に行ける機会も当然少ないので、
たまにしか来ないコーチをどう思っているのだろうと、
内心非常に不安でした。

仕事は予想以上に忙しく、
娘たちもまだ小さいので、
平日はおろか、
休日の練習も満足にできず、
自分自身の射を見せて、
背中を見せるということも
叶わなくなっていました。

それに加え、
自分自身の射も
あまりよい状態ではなく、
いろいろと試行錯誤を繰り返していたため、
たぶん
『あれがコーチの射?』
『あれが錬士の射?』
と思われてもおかしくなかったと思います。

今でもそうかもしれません。

週に一回以上大学の弓道場に通って、
現役大学生たちと
互いに弓道家として更なる高みを目指して
共に歩んでいくという
現役大学生に近い位置で
手助けをしながら共に成長していくという
自分が思い描いていた理想像から
どんどん離れていく実感がありました。

私自身、
やはりここでコーチを降りるべきなのか、
思い悩んでいました。





しかし

そんなときに
自分の心の中に出てきたコトバは、
やはり大学弓道部の中で聞いたコトバでした。


故・内田師範のコトバ。
『どういう形でもいいから
 弓を続けなさい。
 やめてしまったら何も残らないぞ』

ここで引き下がればゼロ。
何を掛け算してもゼロになってしまう。


自分が1年のときの主将だった
服部先輩が残してくれたコトバ。
『部員は宝だ 財産だ』
『心に夢を忘れずに・・・』
『頑張れ直樹 克己』
 (これは夜に一人でコソ練していたとき、
 記録の黒板にデカデカと書いてもらいました)

そうだ。
射術の上手下手、試合の勝敗うんぬんよりも、
まずこういう気持ちで、
仲間や後輩たちと向き合う先輩でいたいと
思っていたんだった。。。

部員ひとりひとりの最大最高の幸福とまではいかなくとも、
そんなチームを作りたいって、
夢みていたんだった。。。


1個上で、今でも弓道の師匠と言って過言ではない
藤原先輩が使っている下がけに残してくれたコトバ。
『拓』

もともと大学初心者で弓道を初めた自分には、
弓道自体が自分自身の開拓だった。

道は自分の後にできるもの。
前へ前へ。ひたすら前へ。ただ前へ。
突き進め。道を拓け。
そう気持ちを後押ししてくれた。


同期の岡村がよく言っているコトバ。
『弓道部で4年間やってきてよかったと思えるように。』

そうなる手助けをしたいって、
今でも確かにある自分の気持ち。


・・・そうだ。
現役学生のときに
自分自身が思い描いた
埼玉大学弓道部の姿を叶えられれば、
それでいいんじゃないか。

距離的な問題は、どうにもならない。
自分自身の射の状態も、今はどうにもならない。

『人にどう思われていようが構わない。
 自分の信じた道を歩いていくだけ。
 いまできることをやろう。』

そう心に決めました。

そして、
今年の卒業生をはじめ、
現役学生が
今に生きるという覚悟を決めた
必死の頑張りを見ていて、

『自分にしかできない
 弓道部の支援の仕方を探そう。』

そう思うことができました。

この数年は、
自分自身にとっても、
成長の機会だと思わせてくれたのは、
やはり埼玉大学弓道部の存在が、
皆さんのひとりひとりの存在があったからだと
思っています。


感謝


私もこの一言です。

ありがとうございました。





これから現役学生たちは、
壮大な目標に立ち向かっていきます。

おそらくいちばん身近で
今の弓道部員たちを見ていた皆さんの応援は、
とても心強いでしょう。

忙しい中で
時間を作って頂けるのであれば、
『不動心』の飾ってある
埼玉大学弓道場は
いつでも待っています。

願わくば、
紫の旗のもと、
共に同じ気持ちを抱き、
共に声を枯らす日を楽しみにしています。

また埼玉大学弓道場で、
世界のどこかの弓道場で、
Be-PLANTで、
埼玉大学弓道部の会合で、
お会いしましょう!

埼玉大学弓道部に関わった
すべてのヤツラの心の真ん中に
埼玉大学弓道部を

その夢を叶えるまで
挑戦は終わらない

我々は変わらず、
懲りずに挑戦を続けています!


謹賀新年 [日記]

あけすぎました orz
おめでとうございます m(_ _)m



ことしも仕事だけでクソ忙しい毎日を送っていて、
さていつ更新できるのかと途方に暮れていたのですが、、、
こうしてめでたく更新となりました。


この更新ができた理由というのも、
インフルエンザに罹患したため orz

出勤停止5日間 orz

3日間寝込んでいましたが、
寝るのも飽きるくらいに回復したにも関わらず、
仕事にも行けず、
まともに外出もできず。
そんなわけで更新できたという。。。




・・・ことしも更新速度が遅い1年になりそうです。。。





さて、、、


何のネタを書こうか。。。



妻手の捻り。
取懸け。



これをネタにしてみます。


私自身、妻手の捻りについて、
本気出して考えたのは、
ここ2~3年の話でして。。。

もともと
妻手の捻り方がよく分からなかった

適切な方法を教えてくれる人もいなかった

四つがけ

という計算式で
四つがけを使い始めたようなもんですから、、、


しかし
ビデオをまわしながら巻き藁をいっくら引いても
0.03秒のコマ送りで見ると、
確実に戻っている離れであり、
何やっても戻りが治らない。。。

さらに
四つがけを使う師範の教えを聞いていると、
四つがけでも捻りは確実に必要という指導を聞くので、
やはり捻りを本気で考えないといけないのか、、、

そんなことで、
自分なりに消化してきたことを
言っていこうと思います。







ネタが全くたまってませんので、
次の更新がいつになるか。。。



神のみぞ知るといったところです、すいませんm(_ _)m

少なくとも追いコンまでには1回更新を目標にします。


ことしもよろしくお願い申し上げます。

 [応援]

そういえば

大学弓道部のHP上で
掲示がなかったのでお伝えします。

1年の松本くんが
秋期リーグ戦で73/80で
関東個人2位となり、
今週末11月20日の
東西学生弓道選抜対抗試合(東西戦)に
出場が決定しました!

おめでとうございます!!

皆さん、当日伊勢神宮へ向けて、魂を送って下さい!!


・・・私は前泊で
付け矢から試合まで応援してきます!(笑)


昨年四年の浦野くんが出場した東西戦は、
娘の幼稚園行事があったため、
前日付け矢しか見ることができなかったですが、
今回は全てのプロセスが見られます。

家族には感謝ですm(_ _)m
※今年の幼稚園行事は、
 再来週末なので、
 決して幼稚園行事とかを
 ブッチして応援に行くわけではありません(笑)


埼玉大学弓道部の部員が、
東西戦に出場するのを見るのは初めてになります。

非常に楽しみです。

ベストパフォーマンスを応援するのみ!!



1年生は 今年が 最後 [応援]

決勝大会が終了し、
王座に出場する代表校以外の大学弓道部にとっては、
春先から半年以上続いた試合シーズンは過ぎたことになる。

しかし
毎年と同じ日程で新人戦がある場合には、
まだ試合シーズンは終わっていないと強調したい。

今が シーズン 真っ只中。

これも最近、毎年のように言っている。


新人戦は
概ね1年生だけで構成されるチーム戦、もしくは個人戦のため、
必ずしもその大学弓道部のチームのベストメンバーではないことを考えると、
特別な、異質な試合と言えるかもしれない。

しかしこうした特別な、異質な試合であろうと、
全力でぶつかっていってもらいたい。


これから大学はむつめ祭を迎え、
おそらく今年も餅屋をやるのではないかと推測している。
1年生が主体で動くこのむつめ祭、
準備にかなり手間取ることが予想される。

その傍ら、
自分自身の射技を十分に磨き、
試合までのプロセスにおいて、
決して手を抜くことなく、
万全の状態で試合に臨めるようにしてもらいたい。

来年度から始まる試合で、
あいつらに、これからの試合で本当に勝てるんだろうか。。。と
大きな存在感を示してもらいたい。


どんな試合であろうと、
試合の大小があろうと、
その目標となる試合に向かって、
全身全霊を賭けて努力すること。

その試合当日に、
自分自身の全身全霊を賭けて、
自分自身の射をすること。

そのひとつひとつが、
自分自身を、自分たちのチームを成長させる原動力となる。

実力の有無、的中率の高い低いなんて関係ない。
結果を気にするなとまでは言わないが、
それ以上に、
本気で今に生きているか。
本気で今に向き合っているか。
それが大事なこと。

結果が良いに越したことはない。
悪い結果が出たとしても、
そのプロセスにおいて、嘘偽りなく努力したのだったら、
必ず先に繋がる一歩になる。


そこでひとつ、
自分自身の心にこう言ってみてほしい。


「1年生は 今年が 最後」


体育会系の部活に所属するような4年生は当然、
部活に所属する今年が最後の年だから頑張ろうというのは、
まあ普通なことかと思う。

しかし
1年生も今年が最後の年であることに
そこに何の違いも無い。


1年生で全関、全日、関甲信、秋季リーグ戦に出られた者、
控えの選手に選出された者は
本当にわずかだと思うが、
その者たちは、本当に
「1年生は 今年が 最後」と思って、
試合に臨んでいただろうか?
1年生だから、このくらいで、、、とか思っていなかっただろうか?

先輩たちを差し置いてでも、
今年最後の4年生を押しのけてでも、
俺が、私が、試合に出場して、
勝利を決める一本を引くんだ!と思っていただろうか?


1年生では試合に出られなかった者たちの方が
大半だと思うが、
その者たちは、本当に
「1年生は 今年が 最後」と思って、
自分自身が自分のできる仕事で
徹底的に自分のチームに貢献することはできていたであろうか?

来年からのシーズンは、今の1年生の出番だ。
それを見越して、日々練習しているであろうか?
今度こそ俺が、私が、射位に立って、
戦うんだ!と決意をしているであろうか?


中る奴らがいるんだから、
中る先輩がいるんだから、
自分は関係ないとか思っていないだろうか?

本気で伊勢に行くチーム、
全国区で勝てるチームになりたいというならば、
例えば新人戦で3人立を組んだら、
1立12射で二桁出すとか、総詰して立皆中するとか、
立に立った一人一人が
そのくらいの気概を心に持っていなければならないというのは、
今年の秋季リーグ戦を見ていて感じなかっただろうか。



君自身の成長なくして、
伊勢の道はありえない。



今という時間は二度と帰ってこない。
だからこそ、今年は最後、今に生きると強く心に思い、
部員全員のベストパフォーマンスを発揮してもらいたい。



1年生は 今年が 最後
これからは 君たちの 出番だ



・・・まあ当然、
自分自身の勉学において、
心配事を抱えている状態では、
弓道だけでなく、いろいろなことに取り組むにも、
中途半端になってしまい、
何をやるにしても、
自分のベストパフォーマンスは出せない状態となってしまう。
出席しなければならない授業や、
与えられた課題は確実にこなして、
まずは毎日を一生懸命に過ごしてもらいたい。

そんなみんなの一生懸命を応援したい、
その一生懸命に自分自身も負けないように、
自分自身も自分の一生懸命を楽しみたい。
そう考えている。

四年生が部活を続ける価値 [応援]

秋季リーグ戦が終わって、ほぼ1ヶ月が経過しようとしている。

今年はいろいろなめぐりあわせと、
家族の理解も得られた中で、
男子女子とも2戦ずつの応援が叶った。

・・・愛知から
さいたま市の埼玉大学弓道場とか、
草加とか、千葉の津田沼とか、
遠くは勝浦まで行った。
(中島さん、清水コーチ、勝浦までお連れ頂き、ありがとうございました)


フツウ考えて、オカシイ人かもしれない(笑)

だが、これまで何人のOBOGにも言っているが、
自分自身にとって埼玉大学弓道部の応援は、
サッカー日本代表や、好きなプロ野球チーム、サッカークラブを応援するようなもの。
好きなバンドのライブに行くようなもの。
どんなに遠くとも、金がかかろうとも、
旅費をかけ、観戦チケット代、ライブチケット代をかけて、応援に行く、参加する。
それと一緒。


もっとも
私よりももっとすごい人は、世の中にゴマンといる。

王座決定戦の観戦に宿泊で行ったとき、
相部屋になった九州の福岡在住の大学弓道部の監督さんに聞いた話。
大学弓道部のための、応援、付添はアタリマエ。
仕事が終わると、
ほぼ毎日大学の弓道場に行って、ひとりひとりの射をチェックする。
どうすれば中るようになるか、毎日ひたすら考える。
(・・・その人の本職が何なのか、
 非常に気になるところではあったが、聞けなかった(笑))


そんな人と比べたら、
私のやってることなんてゴミクズみたいなもんだが、
それでも、今自分が何をしたいかと考え、
今自分にできるすべてを全力でやっていることには変わりない。
それは比較するべきものではない。


自分のやっていることがゴミクズだろうが、
自分のやっていることに、胸を張っていたい。


・・・明日の11月3日の祝日は、
実は私の会社の事業所は出勤日だったのだが、
一か月以上前から、有給休暇を取っていた。

決勝大会の応援のため。

男子が出ても女子が出ても、どちらも出るのが理想だが、
どうにでもなるように準備をしておいたが、、、
結果として、有給休暇は単なる自分の休みになってしまった。。。


男子の最終戦に、家族の都合でどうしてもいけなかったことが、
少しだけ悔やまれるが、
自分自身でできるかぎりのすべては尽くした。

明日は
自分自身の練習にでも充てる一日にしようかと思っている。



さて
最近のリーグ戦には、
四年生が多く参加し、応援に顔を出すようになった。

非常に喜ばしいことではあるが、
その分、四年生自身のことは大丈夫なのだろうかと少し案じることもある。

四年生でリーグ戦に参加する者たちは、
大抵次の進路が決定している者たちがほとんどではあるので、
そこまで心配することはないのだろうが、、、


ただ
間違いなく四年生は忙しい身であることには違いない。
自分自身の将来を決める就職活動、
公務員になるため、大学院進学のための受験勉強、
理系ともなると、研究室での研究活動もある。
アルバイトを続けている者も当然いるだろう。


自分自身も理学部出身だが、
授業以外の理由では、研究室に9時に入って実験を開始するように言われ、
それが月曜日から土曜日まで続く。
私の場合、化学系だったので、
実験の内容次第では、実験が深夜に及ぶこともあり、
実験室で寝泊まりしたということもあった。

実際の実験以外にも、
3~4ヶ月に一度、
自分自身の研究に関わる英語の文献を読み、
その内容について、教授や助手の前で、詳細報告をする時間が設けられており、
(文系でいうとゼミにあたると思う)
慣れない技術英語で書かれている
全く知らない未知の内容の説明をする手段を考えるのに、
相当な時間がかかったことを覚えている。


おそらくは、
毎日こうした忙しい活動の中で、
弓道部に顔を出し、
弓を引いていたと思う。
応援に来ていたと思う。

おそらくは、
幹部を引退し、一度部活から離れ、
自分自身の弓道の射技のパフォーマンスも
ベストの時と比較すると、
決して思うような射ができなかったであろう状態で
弓道部に顔を出し、
弓を引いていたと思う。


その姿勢には、
尊敬の念を抱いた。
感動を覚えた。


おそらく、
こうした姿を、
3年以下の後輩たちは見ていたに違いない。

それが
次のチームへとつながる
第一歩になっていることは間違いない。


私自身、
『四年生になっても、
 弓を引きたいと思う気持ちが、カケラでも自分の中に残っているのであれば、
 絶対に弓を引いた方がいい。
 中る中んないなんか、関係ない。
 四年生が部活で弓を引く価値は、中りだけではない。』
というようなことを
10年以上前から言ってきた。


今年も
四年生が活躍し、
それぞれに頑張っていた。

その姿に、
拍手を送りたい。


おつかれさま。
感動を ありがとう。

無争かけ 4 [弓道]

妻手を裏的に働かせる射を続けていて、
妻手肘が痛くなった原因は、
今ならハッキリとわかる。

①大三が広すぎ
(懸け口が鼻先という基準より引っ張りすぎ)
②大三の妻手拳の位置が遠すぎ、弦道が遠すぎ
③手首のたぐり
④退き肩(妻手肩)
⑤妻手のひねり不足
(取懸けで筈の当たる位置が深すぎることも原因)

①~⑤、学生当時、すべて自覚症状が無かった(笑)


その後大学院卒業後、社会人弓道を続け、
射を見直す、型の完成を図る中で、
そしてごく最近指摘を受けた中で、
やはりこれらの条件が揃っていなかったから、
妻手肘を痛めたということがわかる。

いずれも妻手肘先1点で弓力を受けることになり、
そりゃぁそんな射で毎日40~60本以上の矢数をかけていれば、
壊れるに決まってる。

確か3年後半のリーグ戦の時期は、
矢数を1日20射程度に抑え、満足に練習できなかったという記憶しかない。


試合時期は、射を見直すシーズンオフの時期とは違い、
ピーキングとか、集中力を持った練習をする必要があるだろうから、
ぐっと矢数を抑え、
試合で必要な時に体力を温存するというのも必要であると考えているが、
それは射が整い、試合であとは自分の射を出すだけという状態になっていればの話。

どう考えてもそういう状態から程遠い自分の射では、
我武者羅に、泥臭く、矢数をかけて、足掻くしかなかった。

Ⅱ部からⅠ部に這い上がろうとして、必死になっていた時期に、
練習量を増やせなかったのは、今でも悔やまれる。

何故この時期に妻手肘の故障が。。。と思ったが、
結局そのときの頑張りでは、そこが限界だったということに他ならない。

その当時の部活の状態を思い返してみても、
Ⅰ部に這い上がったところで、
また即Ⅱ部落ちをしたように思う。


このときの悔しさがあったから、
今でもこの頃のことを思い出すだけで、
心が悔しさでいっぱいになるくらいだから、
こうして今、弓道に真っ向から向き合おうとも思える。

このときの悔しさを、
後輩たちには味わうことをさせたくないから、
こうして今、ひたすら技術を習得し、磨き、教えて、広めようと思える。
指導にも、応援にも、力が入る。


現役学生当時に
自分のこの手で、
埼玉大学弓道部を、全国区の強豪にしたかった。

自分の限界以上に頑張ったつもりだったが、
当時の自分の知識では、チカラでは、無理だった。

だから今、
埼玉大学弓道部を、全国区の強豪に押し上げたい。
関わった者たちすべての心の真ん中に置いてもらえるような部活でいてほしい。
本気でそう思っている。



・・・かなり話が逸れましたが(笑)
先述の
①大三が広すぎ
(懸け口が鼻先という基準より引っ張りすぎ)
②大三の妻手拳の位置が遠すぎ、弦道が遠すぎ
③手首のたぐり
④退き肩(妻手肩)
⑤妻手のひねり不足
(取懸けで筈の当たる位置が深すぎることも原因)

のうち、①と②が治った状態で、
③が治りかけで、
確か無争かけを使いだしたと記憶している。

無争かけを使って、数年前にビクりが発生したときにも、
妻手肘の痛みが再発しているという事実から考えてみると、
やはり③、④、⑤の条件が必要だったということなのだろう。



基本的に退き肩というのは、
弓手の意識が先行し過ぎて、
妻手の収める位置が分からなくなるからだとは思うが、
退き肩を治すのに必要になるのは、

・弓構え、打起しでの肩甲骨の前肩の意識
・かけにチカラを預ける意識
 (大三から弦枕に受けるチカラがかかるが、
  このときにかけから親指が離れていくのを、
  人差し指・中指、あるいは人差し指・中指・薬指で握って止めない。
  無争かけの作者の表現を借りると「帽子を遊ばせる」)
・弓構えのときの妻手のひねり
 (かけの親指と弦とが直角は当然だが、
  前膊部(肘と手首の間の部分・下膊とも言う)と弦とが直角となるように
  懸口十文字を取る。
  直角というコトバを二次元で考えない)。
・弓構えの取懸けの際に、筈の当たる位置が深くしすぎないこと。
 (自分自身の感覚だが、筈の当たる位置が深いと、
  ひねりがかかりづらくなるように思う。
  ここはまださらに文献などから根拠を見つけたいと思うが。。。。)


ようするに、
無争かけであろうがなんであろうが、
基本的なかけの差し方(つけ方)・使い方が出来ていなければ、
何をやろうとしても
その後技や体に支障が出てくるのだろうと最近考えている。


今現時点で無争かけを使えば、
何か変わるのかもしれないが。。。。

ひとまず征矢弓具のかけを使いこんで
お金がたまったら考えるか(笑)
というのが現状です。



さて、、、ようやく無争かけの話が終わりました。。。



最近リーグ戦の応援に行ったり、
現役生や卒業生と会う機会が多かったので、
心に浮かぶことが増えてきて、
ようやくブログ更新できました。。。

このブログを読んでいるみなさん!
埼玉大学弓道部 現在秋季リーグ戦真っ最中です!!
みなさんで 伊勢への道へ向かう現役学生を 応援してください!!!

またもや [日記]

しばらくご無沙汰しておりましたm(_ _)m

4月から、仕事の内容が変わり、
(今までの仕事+パソコンで文書作成することがかなり増えた)
なんとかブログを書き綴っていたのですが、

どうにもこうにも身動きが取れない状況でして。。。 orz

昼休みもパソコンで仕事してるにもかかわらず、
やれどもやれども終わらない。。。



さらに


無争かけのことをこれ以上触れるには、
無争かけの最新情報を知っておく必要があると考え、
とある本を取り寄せていた関係もありました。

岡崎弓具店のホームページで紹介されている「無争論」です。

おそらくは、
今まで知っている情報がほとんどだろうと思ったのですが、
こういう新書籍が出るたびに、
何かしら目新しいことが書かれていることが多いので、

今現在考えていることと
新しく書かれていることが、
合致したものなのか、まったく違うものなのか、
確認しておこうと思った次第です。


昨日手元に到着して、
深夜にさっそく読んでいましたが、
新しい情報、ありました。

確認できたので、
そろそろ時間をみつけて復活しようかと。。。。


ただ
現時点で書き溜めているネタは尽きているので、
合宿行く前に、1回更新できるかどうかですが。。。。


まあ、気長に待っておいてくださいm(_ _)m


ぁぁぁあ、練習したい・・・


無争かけ 3 [弓道]

今振り返ってみると、
学生時代に横一線の真一文字の大離れを理想とし、
大離れの射を目指して、何を重点的に考えていたかといえば、
妻手肘の働きだった。

妻手拳ではなく、
妻手肘を裏的に働かせ続けること。
妻手の手の内は、
弓道読本に記載されている『鉤の手の内』とすること。

その働きと手の内を、
重点的に、徹底的に練習した記憶がある。

フツウ中りを出すためには弓手なのだろうが、
自分は大学で弓道を始めた初心者。
おそらく定説通りのマトモなことやっていても成長は無いと考えた。

さらに見た目の射を考えたときに、
やはり美しい射には、
弓手と対応し、相対的に、左右対称に働く、
妻手の働きが無くてはならないと考えた。

夏合宿が終わり、1年の秋季リーグ戦が終わったあと、
まず妻手を整えることから始めた。



・・・大学生の弓道部が何で評価されると言ったら、
試合に勝つこと、全国区の試合に出て存在感を出すこと。
そのためには試合に出て中りを出すこと。
その中りを掴むためには、
当然弓手の強さ、弓手手の内の正確さが必要なことは百も承知だった。

しかし、
当時の弓道部の先輩たちは、
弓手は的に押せ以外のことは言わなかったし、
(確かにそれ以外に無いのだろうけど(笑))
弓手手の内については、
そんな手先の小細工より、カラダで弓を開くことを覚えろということを言われ、
弓手手の内に関して、詳しい指導をしてくれる人もいなかったため、
結局何をやったらいいのかがわからず、
弓手の手の内は、
どこかの本に載っていた手の内の分習と、弓返りの練習以外、
放置していたというのが実際だった。


そして、
学生時代に抱いていた野望は、
試合に勝つこと、中りを出すこと、
それ以上のものだった。


『試合における圧倒的完全勝利』


中りは無論の事、射品・射格でも圧倒的な差を見せつける。
体配の身のこなしで、他の大学に負ける訳がない。
試合での介添えの支援の力、試合のサポートにも隙を見せない。
部活の応援・矢声・仕事の質でも圧倒的な大差を見せつける。

弓道は、周囲の人の影響を受けず、人生の中で初めて自分の意志で始めた道。
自分の意志で弓道を始めたからには、
自分自身の命を賭けるという形容にふさわしい行動を起こすのは当然。
これで半端で辞めるようなら、
自分は価値の無い、タダの大バカヤロウだと自分自身に言い聞かせていた。

それでも、運が悪かったのか、巡り合わせが悪かったのか、
それとも、必然だったのか、
秋季リーグⅠ部陥落のプロセスとその瞬間を目の前で見せつけられた自分にとって、
この弓道部で何を残すかと考えたときに出てきた答えは、
自分の弓道で
自分たちのチームの弓道で
相手校の存在感ごと全て消し去ってやる ということだった。

そういう想いというか
客観的に見て、あまり良いとは言えないような野望を抱いて、
学生時代の日々の練習に携わってきたが、
仲間や部員たちには、その1/100も伝わらなかったように感じている。

伝わらなくともいい。
この部活に携わる、部員一人一人の想いはさまざまだから、
自分のこの野望を強制するつもりはない。

だが
少なくとも自分自身は、
この弓道部に存在した、その爪跡を残したい。
弓道に命を賭けた自分自身の存在を証明したい。
そう思っていたのは、確かだった。
今でもその想いは、間違いなく自分の根底に流れている。

(相手校を消し去ってやるっていう意識は、無くなりましたがね。。。(笑)
 弓道に命を賭ける自分自身の存在を証明したい、
 自分の弓道を極限まで高めるという意識は、今でも確実にあります。)



試合に勝つなんて言うのは、
アタリマエ。
中るなんて言うのは、
アタリマエ。

それより一歩以上踏み込んだ領域に、
自分自身の射を昇華させないことには、
試合における圧倒的完全勝利など達成できない。
そう考えていた。



そして学生当時、
大学で弓道を始めた初心者ではあったが、
他大学の中る選手を見ていて、
その大半は、
どう考えても我流を突き詰めて、中てているという感じにしか見えなかった。
弓手は確かに的をとらえている。
中りもする。
確かに凄いと感じたが、
見ていた射のほとんどは、
美しさのカケラもない。
合理的という言葉が全く当てはまらない。


これは 俺の目指すものではない
この中りを遥かに追い越すためには この真似をしてはいけない
直感的にそう思った。


試合における圧倒的完全勝利を心に想い描くのであれば、
中りは、
基本に裏打ちされた
射の美しさ、射の力強さが伴うべきものであろう。

そのために
まず自分自身の射を
理想とする『横一線の真一文字の大離れ』に近づけるためにはどうしたらいい?

それは、
妻手肘の働く方向を、裏的に働かせることだ
その裏的への働きを邪魔しない妻手の手の内の構成を確実にすることだと考えた。

視界に入ってこない妻手肘の方向を模索することは、
当時の自分の射にとっては、確かにプラスに働いた気がする。


弓手については、こう考えた。
試合における圧倒的完全勝利を目指すなら、
練習を毎日やるのは基本。
1日60射以上も引いていれば、
嫌でも弓手は的の方向に押すに決まってくる。
自分の視界に入ってくる弓手を、狙っている的以外のどこに押すというんだ?
矢数さえ引いていれば、弓手の意識が弱くなるなんて、アリエナイ。

この弓手の意識に関しても、
弓手手の内の知識ゼロだった当時の自分の射のレベルでは、
正解に近かったと思う。



確かに大離れの出ている感覚があった。
中りも練習量にモノを言わせてなんとか7割程度中っていた。

しかしその妻手を裏的に働かせる射を続けていて、
ちょうど主将だった3年の秋季リーグ戦前に
その自分の射のキモであった
妻手肘をひどく痛めてしまった。。。


無争かけ 2 [弓道]

かけの使い勝手は、確かに良かった。

その後国体選手を目指す育成会・錬成会などに参加すると、
当時の国体強化委員の教士・錬士の先生たちには、
自分の持っている無争かけの帽子の付け根が折れているのを見て、
『かけを握りこんで帽子を折っているのではないか』
『だから力みのある射になっているのではないか』
などのことを頻繁に言われるようになった。

確かに当時の射は、
20kgの弓を少ない練習量で抑え込んでいるような引き方をしていて、
引分けで震えも出ていた。
会での安定性に欠けるように見られていたのかもしれない。

もともと無争かけの控えは柔らかいを通り越して
控えを曲げても問題は無いような、当時の常識では信じられないようなかけだった。
そして買った当初から、帽子の付け根も折れていたように記憶していたのだが、
力みのある射をしていたから帽子を折った、ということに反論はできなかった。

そこから手力の弓を脱却し、
安定感のある射を目指して努力はしたものの、
やはり国体選手に必要なのは中り。

いつしか
自分の理想とする横一線の真一文字の大離れを忘れ、
中りのためにできることをやるという考え方に
変わっていってしまったような気がしている。


国体選手を目指そうと思った理由は、
社会人弓道に携わっていて、
弓道部の現役生に自分の背中を見せて
率先垂範をするためには、
県を代表するような選手、全国区の選手を目指すべきだという考えからだった。

また
単に趣味の領域を越え、
弓道に携わるということを、
職場などの弓道から離れた場所にいても、証明したいという考えからだった。


しかしこの国体選手になりたいという欲求に克てず、
自分自身の射のコンセプトを忘れて中りを求めてしまったのが、
その後の射癖を生むキッカケになってしまったように思う。


中りを求めるための射の組み立て方は、
弓手の強化、
弓手のベクトルを邪魔しない妻手の働き。

確かに弓手に特化した射に変貌を遂げていった。

確かに弓手に特化した射の時期は、中りも6~8割出ていた。
埼玉県選手権の四・五段の部で準優勝もしたし、
武州弓道大会でも10位以内に入賞したことがある。
清水コーチ・武田と一緒になって、
地方大会荒らしをしたことも何度もある(笑)

この時期は、的の「点」を狙うこともできた。
遠近競射で先に引かれた選手に一黒に入れられたことがあったが、
中白に的中させたこともあった。
サランラップの芯で作った的に中ったこともある。

錬士に昇格できたのも、
このころだったと記憶している。


しかしその時期の射の講評は、
「ビクりが出て、射が危なっかっしい」
「弓手を振り込む離れ」
「妻手が戻る離れ」
「妻手の引き過ぎで矢尺の取り過ぎ。見ていて危なっかしい」


確かに中りはする。
だが射を見ていて危ない。


そういう評価しか出なくなった。


国体選手の候補に選ばれたことはあったが、
結果的に選手にはなりきれなかった。


さらにその後、
「その射をしているうちは、県の代表選手に選考はできない」
「見ていて離れで目を覆いたくなるような射」
そこまで言われるようになってしまった。


弓手に特化した中りを求める射。
その射で10年も持たなかった気がする。


その時期を境に、
川越の先生を訪ね、
巻藁中心の生活をして、
妻手の力みが解消されるような射にはなってきたが、
その頃合いに愛知に転勤。


練習量激減
全く前に進んでいる気がしない
そして現在に至る。


弓道に携わって、
非常に苦しい時期を迎えることになった。。。


無争かけ 1 [弓道]

尾方先輩の看箭への投稿文で、
森戸先生が中離れという記載をされていたが、
昔大学の弓道場にあった
森戸先生の打起し、大三、会、離れの写真を見たときに感じたのは、

(ここで言っている4枚の写真は、
 弓酔会と書かれていたものの、
 どうやら尾方先輩の所有物だったようで、
 今は弓道場には掲げられていません。
 写真の複写でも良いので、
 個人的にも、大学弓道部的にも
 再度掲げて頂ければと思っているのですが。。。)


横一線の真一文字の離れ


私は直接森戸先生から御指導を受けたわけではないので、
直接御指導を受けた方が言うことのほうが正しいとは思うが、
私が写真から感じとったのは、


四つがけ・強弓を使った豪快な大離れ


この射を目指すことを心に思い描き、
大学初心者で弓道を始めた身として、
非常に背伸びした挑戦ではあったが、
2年の後半・主将に就任したときに
直心Ⅰカーボン18kgに弓を変え、四つがけにも変えた。
大学院に入学してから直心Ⅱカーボン並寸20kgを買って、
大学院卒業後も4~5年近く使い続けた。

まったく足元にも及ばなかったが、
それ以降、森戸先生の写真の射をイメージして、
日々の練習をしていったことは間違いない。
大学・大学院卒業後も、
この射を目指していたことは間違いない。


その後、社会人弓道を本気で始めたとき、
埼玉県の範士・教士の先生から
直接指導を受ける講習会に参加したとき、
必ず冒頭で
『礼記 射義』と
吉見順正の『射法訓』を唱和する時間があった。

これは
この文章が現代弓道の目指す道そのものであり、
それを心に刻み、修練をすることが重要という話を聞いた。

その『射法訓』。
通し矢にも挑戦した吉見順正の遺訓は、


『宜しく左右に分かるる如く これを放つべし』


まさに大離れのことを指している。
通し矢という目的のために、
大離れという離れ方をすることになったという説明は
過去の書物を紐解くと出てくるが、
そうとはいえ、
大離れというものが、現代弓道の潮流になっていることを感じ取った。



大離れというと必ず行きつくのは、
山形の岡崎弓具店の無争かけだった。

月刊弓道の広告でも何回も見ていて、
このかけは一体どういうものなのだろう。。。と
ひとまず資料を郵送してもらうことに。


『控えが柔らかく、買ってすぐに使えるかけ』
『引っかかる方向に離れを出せば、離れは出る』
『大離れを目指して作られたかけ』


資料を読めば読むほど、興味がわいてきた。


そんな折、
実家の両親が山形の寒河江の親戚のところに行くので、
車で連れて行って欲しいというお願いを受けた。

岡崎弓具店は、山形の米沢。
寒河江からなら、下道で2時間見れば確実に到着する。

無謀にも、
範士八段の岡崎先生に会って、
話を聞いてみたいと思い立った。


確か、自宅兼工房に電話をした記憶が無い。
前連絡も何もなしに、
突然米沢に行ったように記憶している。

岡崎先生が居なければ、それはそれでいい。
とにかく工房がどこにあるかがわかれば、
またいつか伺うだけだということで、、、

またなんとも無謀な話だったが、
なんとその時に、
岡崎先生が居た。


工房に通して頂き、
岡崎先生の話を聞いた。

印象に残ったのは、
『世の中には道具を使うスポーツがあるが、
 慣れが必要な道具なんて聞いたことが無い。
 スキーブーツが慣れてないから使えないなんて話 聞いたことある?
 弓道のかけっていうのは慣れないと使えないなんて、
 そんな馬鹿な話があるか』


その話を直接聞いて、
妙に納得してしまった。

その場で手型をとってもらった。
四つかけが総額で14万円するものだと知ってはいたが、
(前回12万円と書いたのは、間違いでした。すいません。)
ここで買わないと、一生後悔するような気がした。

このかけで
目指すものは近づいてくるのではないだろうかと、
直感で思った。


その後。

確かに巻藁40本くらい引いてからだったが、
離れが切れるという感触はあった。

横一線の離れが実現している感触は確かにあった。
中りも7割くらいだったが、そこそこについてきた。

無争かけに変えて、
その年に五段に昇段もした。



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