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かけ [弓道]

尾方先輩が看箭内で、
私が無争かけを使用しているということを書かれておりましたが

現時点では
使用していた
が正解です。

結論から言うと、
確かに馴染むのは早かったし、
身の回りでも無争かけユーザーが増えてきたので、
(メインでは使用していないようですが、
 清水コーチは無争かけを持っています。)
おそらくかけの機能としては優れていると考えています。

しかし
メンテナンスを考えたときに不安が残るので、
金銭面に余裕がないのであれば、
選択しないほうが良いというのが
私の意見です。

(無争かけは、誂(あつらえ)の商品なので、
 手型を取るところから始まります。
 従って、10万以上になることは間違いないと考えておいたほうがいいです。
 私のかけは、10年くらい前の当時で12万円でした。)

私の場合、
使い方が下手だったのかなんなのか、
使用7~8年経過したくらいで、
捻り皮に穴をあけてしまいました。

無争かけは、
弦枕に特殊な樹脂がコーティングされているため、
捻り皮の交換となったら、
おそらくその弦枕まで交換ということになると推測しています。
(実際に修理の見積もりはとったことはありませんが。。。)

無争かけの作者は、
ご存知の通り、弓道範士八段の方ですので、
おそらく修理を依頼しても、
納期は年単位になる懸念があります。
そうなった場合、代わりのかけがないと困ります。
もう一個、同じものを持っておかないとならないということになると思います。。。

ですので、
現在は無争かけは、使用していません。
金銭面で余裕があれば、
あと2つくらい誂えたとは思いますが。。。。


じゃぁ、今は何を使っているの?という話ですが、
木内くんも使用している征矢弓具のかけです。

2年前の4月に、
木内くんに福岡まで連れて行ってもらって、
実際に征矢弓具で手型をとり、誂を作っています。

なぜ征矢弓具を選択したのか?

・帽子形状はなんとなく特殊だが、予想以上に親指の帽子の長さが短い。
 木内くんの持っていたかけが、自分でも引けそうだった。
・控えが柔らかい、帽子の付け根も柔らかいというのは、
 無争かけと同じ性質。おそらくすぐに馴染むと直感で思った。
・小山弓具がどうやら征矢弓具のかけを扱っていて、
 仮にかけの故障で、別の既製品を使わなければならなくなった場合にも対応ができそう。
・最近の現役生が多用しているので、指導する観点から自分も使ってみようと思った。
・メンテナンスが充実しているという点。
 宅急便で送りこめば、誂ならば送料だけでメンテナンスを実施してもらえるらしい。
 (この4月から価格改定で有料になるらしいですが。。。)



私が現在使用しているかけは、誂で15万円しました。

別に既製品でもよいのかもしれませんが、
私の手は短く、
(おそらく既製品でいうところの3号~4号あたりでちょうどです。
 四つだと、小さいかけはなかなか見つかりません。。。)
既製品を何個試しても、
手に合うかけがなかなか見つけられないので、
その手間を考えれば、誂えたほうが早いし、
なにせ高価なかけというのは、
鹿皮の材質が違います。

皮が硬くなりにくく、
手入れさえしっかりすればカビが生えることは皆無です。


しかし手になじむかけが見つかれば
鹿皮の材質を選ばなければ、
2~3万円くらいのかけでも
十分な機能を満たすものは見つかるんじゃないかと思っています。



・・・まずは無争かけの購入した当時の思い出話でもしようかと。。。



次に進む    贈るコトバ [応援]

ようやく更新する時間が取れました。

というより
更新する気になった
というのが正確なところです。。。 orz


確かに最近
仕事上で忙しい思いをしていて、
昼休みも仕事をしていたような状況だったため、
とてもとても更新する時間がとれなかったのもあるのですが、


思うことが、文章にならない。

そんな1か月でした。


しかし先日
大学弓道部の追い出しコンパに参加して
大学の弓道部の皆さんに直接お会いして、
話をしてみると、
ああこんなことを考えていたっけかなぁというのものが
心に浮かんできました。


今の流れだと
200射会の話から、
私の知る過去の埼玉大学弓道部の卒業生が
どんだけ練習していたかって話にしようかと思いましたが、
話題を変えます。


尾方師範の看箭の投稿文に
私が過去に使用していた無争かけの話がありましたので、
そこに話題を変えていきます。



その前に
追い出しコンパに参加して
心に思い浮かんだことを。



卒業生の皆さん
おめでとうございます。


毎年贈り的には『今日は昨日の我に克つ』というコトバを書いていましたが、
今回は『夢』と一言書かせて頂きました。

・・・いや決して的の数が多いから、短くしようと思ったわけでは。。。(笑)


今でこそアタリマエになってきた携帯電話。
電気自動車。

もともとは
人が思い描いてきた夢が現実のものとなった
いい例ではないかと思います。


そんなことできるわけない


夢を追い続ける人は、
心無い人に
そう言われながら毎日を生きてきたはずです。

しかしその夢を抱き続けたから、
夢に向かって挑戦し続けたから、

夢に向かう人が徐々に多くなり、
その多くの人に支えられ、
夢は現実のものとなったと、
私自身は考えています。


おまえなら 絶対できる
おまえなら 絶対叶えられる
実績や根拠なんか 関係ない
夢を胸に抱いて 今に生きろ


そう私は
いつまでもエールを送りたいです。



そしておそらく
この部活に入ったことの一番の財産は
このチームで知り合った人たちとの繋がり
そして
同じ目的を共有した
仲間ではないかと思います。

自分自身は
弓道部でできた人脈が
本当に貴重だと思っています。

勇気をくれたコトバ
心に刺さったコトバ
背中を押してくれたコトバ

ふと思い出すと
埼玉大学弓道部の先輩の
仲間の顔が浮かんできます。

私自身、
大学弓道部を卒業して
20年くらいが経過しています。

仕事に就いてから
研究・試作・営業・分析と
仕事内容は変わり、
転勤を4回経る中で、
ひとつところに留まることすらできない
自分自身の存在価値なんて
無いんじゃないかと思うことは
いまでもあります。

でも自分自身の存在を
一度でも認めてくれた
大学の弓道部があったから、

当時の
大学の弓道部の先輩の
大学の弓道部の仲間のコトバがあったから、
心折れそうなときも
いまでも頑張れていると感じます。

生きていくチカラそのものを
今でももらい続けられているのは、
弓道部の先輩がいるから
弓道部の仲間がいるからだと
そう思います。

これからは
アタリマエのように顔を合わせてきた仲間は
アタリマエに会えなくなってしまう状況になります。

久しぶりに仲間と再会するには
少しの努力が必要になります。

でも
少しの努力をするだけで
間違いなく生きるチカラをもらえるはずです。

この部活で築いた和を大切に
これからを逞しく生きていって下さい。

願わくば
また紫の旗のもとで
共に弓を引き
共に声を枯らす日を楽しみにしています!



200射会 最近の話 昔話 [応援]

そういえば
昨年の夏合宿で
桐原くんから現役の皆さんは、こう指摘を受けたと思います。


『200射会というのは、
 朝の部・午前の部・午後の部で終わりです。
 その制限時間内で、何人200射を引けましたか?』



・・・これ実は、
桐原くんが主将のときに、
私が当時の現役生たちに言った言葉なのです(笑)


当時はまだ私自身も200射会に参戦していて、
OBのくせに、制限時間内に200射引き終えてしまいました(笑)

ご自分が200射を制限時間内に200射引ききっているから、
そんなことが言えたんじゃないですか?と言われそうですが、
当時のことを思い出すと、
確かに制限時間内に引き終えている人は、数人いました。

しかし、
引き終えた人が、他の人をサポートする気が無い。
200射引き終えた人だけで談笑が始まっている。
幹部や班長が、班員の矢数を把握・配慮している様子が無い。
射位に人がいない時ができる。
なんとなく矢取りの回転も遅い。
夜間の班活もあるから、そこで引けばいいんじゃないかって、
ハナから時間内に引き終えることを諦めているように感じる。。。

それで思わず、
200射会午後の部が終了したときの、
神前礼拝前の挨拶で、
ちょっとは考え直した方がいいんじゃないかと、
一石投じたことがあります。

あの時も、
指摘をすることは、あんまりいい気分ではなかったのですが、
200射会というもののあり方が、
『まるまる1日かけて、200射引けばいい』
という考え方になってきてしまっているのを、
改めた方がいいのではないかと思って、
思い切って指摘をしました。


ただこの時の部活の状態を考えると、
レシェントの道場の6+7的でも、
人数があふれるほど合宿参加者がいて、
そしてその中に私も加わってしまったため、
制限時間内で200射を引けない人も出てきているのかな。。。と思い、
それ以来、
この200射会というものを
今後存続させていくのかどうか、
本気で考えた方がいいのでは。。。と思うようになりましたが。。。


まあまさか、
当時の後輩が、同じことを言うとは、
夢にも思わなかったです。。。(笑)



かくいう私、
現役時代の1・2・3年生の時、
しかも3年生の主将のときですら、
ジツハ200射を時間内に引き終えたことはありません orz

200射会を時間内に引き終えることができるようになったのは、
OBになってからです(笑)

1年生の時は150射くらい。。。
2年・3年生のときは180射くらいで
午後の部が終了した記憶があります。

班長の時の2年、主将の時の3年とも、
班員・部活の様子を見ながら、指導しながら引いていたことや、
下級生に数を引かせる配慮をしていたりとか、
もともと取懸け動作が遅かったのも重なったというのがありましたが、
当時の副将の岡村くんから、
『なんで主将で200射終わってねぇんだよ』
と怒られたこともあります。。。 orz

※当時の主将は、
 基本的に道場に居るものだということで、
 掃除や矢取りなどの仕事をしてはいけないという規則でした。
 ・・・それなのに200射を制限時間に引き終わらないっていうのは、
 やはりどうなのかと思いますね・・・ orz



200射会と言って思い出すのは、
200射を引き終わっても、まだ引いていた先輩たちです。

1年や2年のときは、
200射は時間内に終えて、
200本以上の矢数をかけている人という先輩が大半でした。

『200射終わったのに、なんでまだ引くんですか?』って聞いたら、
確か帰ってきた答えが、
『200射会ってのは、
 200射終わったから終わりじゃなくて、
 自分の限界がどこなのかを知る機会だ』
という答えでした。

現役のときには、
時間内にすら200射を終えることができなかったので、
実際に200射を越えた矢数を引いたのは、
これもOBになってからです。
たしか220射とか248射とか引いたように記憶しています。。。



自分の中で、200射会で一番数を引いた先輩といえば、
1個上の石田先輩。
『俺は早気だから、とにかく数を引いて記録を残す』
と、私が2年のときにそう言い放ち、
午前中で既に200射終了。
午後に300本以上引いて、
確か午後の部終了時点で514本くらいを引いたと記憶しています。
(詳しい数は間違っているかもしれませんが、
 とにかく約10時間の制限時間で500本越えをしていたのは確実です。
 そして当時内田師範が、
 200射会での最高記録の矢数だと言っていたので、
 おそらく石田先輩の矢数の記録が200射会での最高記録でしょう。
 ・・・しかし今思えば、早気だとは言っても、
 頬付けまでは来ていて、そこで離してしまうという感じなので、
 胸弦と狙いさえついていれば、会の条件は満たしているように思います。
 しかし当時の石田先輩の引きは早かった。。。
 矢番え・取懸けの動作が特に早い。
 打起し・大三・引分けもあっというま。。。
 2人で個人練習をしていたことがあって、
 私が4本引き終わらないうちに、16~20本は引いていたので、
 とにかく先輩の矢をきらさないように
 矢取りが大変だったという記憶があります。。。(笑))


1個上の三浦先輩は、
『200射会じゃなくて200中会にする』とか言って、
本当に200中させて終わったような人もいました。
(確か的中率8~9割くらいだったので、総矢数は240本前後で終わったはず。。。)

私は未だに
200中会は出来たためしがありません orz
・・・16時間くらい道場に居る時間があって、
1日で300射くらい引ける体力がつけば
いつか200中会ができる日がくるのかな。。。



心に突き刺さっているコトバ [応援]

200射会というと、
自分の心の中に浮かんでくる言葉があります。

いや
200射会以外でも、
矢数がかかった練習をするときに、
いつでも心の中に浮かんでくる言葉と言っても過言ではありません。



『矢数がかかって手の内を壊すなんざ
単なるヘタクソなんだよ!!』

『100や200引いたくらいで
壊れるような射なんて
要らねぇんだよ!!』



この言葉を
1個上の男子の先輩から浴びせられたのは、
私が1年生の時の春合宿のときです。



私が3年の代までは、春合宿というものが存在していました。
その春合宿の内容というのは、
今現在、春季強化練をやっている時期(2月の末から追い出しコンパの前くらい)に、
大学構内の合宿所(プールの横の建物。今は機能しているかはわかりませんが。。。)で、
1週間合宿をするというもの。
練習メニューは、夏合宿の合同練と同様ですが、
立で1日40~50射くらいは最低引く内容(午前12~20射、午後20~32射)。
中日に四ツ矢25回、3~4人立の立射で100射引く100射会があり、
かなり矢数はかかった内容だったかと思います。

春合宿のルールは決まっていて、
大学構外に出るのは基本的に禁止。
朝昼晩の食事は全て学食。
昼、晩にはかならず揚げ物が出てくるという食事内容。
風呂は隣の学寮を使用し、
寮の休湯日は体育館のシャワーを使用することになっていました。


・・・これだけ見て、
勘のいい皆さんなら、口をそろえて言うかもしれません。


こんな合宿、する意味が無いと(笑)


現在の春季強化練も、
春季とは名ばかりの非常に寒い時期に強化練をしていると思います。
ただ、
その後の練習試合、春季トーナメント予選を見据えたとき、
新入生勧誘、大学の授業開始を見据えたときに、
春季強化練の時期に、部活を起動させる必要が出てくるため、
寒い時期にはなるのですが、
やはり追い出しコンパ前の時期に実施するのが望ましいことは
間違いないかと思います。

しかしそんな寒い時期に、
大学構内の合宿所に、わざわざ泊まって合宿をやる意味と言ったら、
朝8~9時に練習スタートとかも可能なため、
立で矢数がかけられることくらいです。
実際に、寒い時期の合宿だったこと、
さらに食事も決してバランスが良いとは言えない内容で、
春合宿で体調を崩す人が続出していましたし、
大学構外に出てはいけないというルールもあまり意味をなさないということで、
私の1個下の代で、春季強化練に変わったという経緯があります。


普段の合同練などでは
大学の弓道場の掃除をしない男子が、
春合宿では道場掃除が担当になることもありました。
(夏合宿の班分け毎に仕事が決まっていて、
 道場掃除の当番になるのと一緒です)

ただでさえ慣れない道場掃除の上、
2年生にあがる直前の話だったので、
夏合宿の200射会ほど手の内を壊すことはなかったのですが、
親指の関節の皮膚やら、小指の付け根やらが
パックリ割れることはしばしばで、
そんな状況での水仕事は、
非常に辛かったことを覚えています。

掃除が終わってすぐに初立ということもあったので、
絆創膏やテーピング、
押手かけなどの準備もしなければならないという意識が働き、
雑巾がけが終わるとすぐに救急箱に向かって、
手の内の保護を始めていた。
他の1年も何人か、同じ目的で、
わらわらと集まっていたところ。。。

「何やってんだよ」

とその先輩から一言。

その先輩の言い分では、
掃除がなかなか終わらないので、
掃除の手を止めて、1年が何をしているのかということであった。

「いや掃除が終わったら、すぐ初立なので、準備を・・・」

そこで言われた。
「ああん?
矢数がかかって手の内を壊すなんざ
単なるヘタクソなんだよ!!」



正直、理不尽だと思った。

弓道始めて1年も満たない自分自身が、
ヘタクソであたりまえ、
そんなこと言われる筋合いはないと思いながらも、
その場はぐっと堪えたが、、、

他の1年から反論する者が出てきて、
どういった経緯で、
春合宿の射数の話になったかわからなかったが、
1日に立で引く本数も多すぎる、
合宿中に、休息する時間も設けられていない、
このままでは、部員の射が崩れて、
積み上げてきたものも何の意味もなくなる。。。的な反論をしたところ。。。


そこで言われた。
「100や200引いたくらいで
壊れるような射なんて
要らねぇんだよ!!」



確かその時の言い合いは、
お互いの意見を言うだけ言って、終わっただけになったが。。。

その言い合いで、
何の反論もできなかった自分自身、
ただ言われた言葉が、強烈に心に突き刺さった。



確かにヘタクソだけど、
これまであまりにも、手の内に関して考えなさすぎだったんじゃないのか。。。
初心者だから、って言葉に、甘えてなかったか?
普段の準備が悪いから、
普段から矢数かけてないから、
こういう合宿で手の内も壊すし、
射も壊すんじゃないのか。。。

昨年指をくわえて、Ⅰ部から陥落したのが
悔しかったんじゃなかったのか。。。

あれは、口先だけの悔しさだったのか。。。?

こんな春合宿程度の矢数で負けていては、
今年のⅠ部昇格なんて、夢のまた夢。

ヘタクソとか、
脆い射なんていらねぇなんて言われないくらいに、練習しよう。
自分の目指すところは、
矢数の向こうにしかない。



それ以降、
矢数がかかったからと言って、
甘えることはしなくなった。

むしろ、
言われた言葉が自分自身の行動指針になった。


この程度の矢数で崩れるような射はいらない。
それは単純にヘタクソなだけだ。
練習が足らない。意識が足らない。
引け。
チカラの限り引け。
根性見せてみろ。


・・・しかし、
100や200引いても崩れない射、、、
どんなに練習していた時期でも、
それには到達したことがない。。。。
今まで弓道を20年以上続けてきて、
そこには到達したことがない。。。。

今でも、自分自身の戒めの言葉となって、
心の中に突き刺さっている。



・・・だが、
基本的に、
自分でできていないことは、
教えられない、意見できないと考えているし、
この心に突き刺さった言葉を、後輩たちに言う気はない。

この言葉を浴びせられたときには、
あまり気分いいものではなかった。

最近の月刊弓道で、
丁寧な教え方をしても、
その人の財産にはならない。
意地悪な教え方の方が、
その人のためにはなるという話を読んだことがある。

弓道を続けていく上で、
一生忘れられないような
強烈な言葉を突き付けてくれた先輩には感謝しているが、
この言葉を聞いたときには、
やはりあまり気分いいものではなかった。

自分が言われて、やられて嫌だったことは、
他の人に、後輩に、言わない。やらない。
自分に言われる、やられる分には、構わない。
でもそれは、自分のところですべて止めると、心に決めよう。
そうした戒めを、
心に刻んでいるつもりではいるが。。。

今の自分を振り返ると、どうなのか。。。
最近の自分は、ひとりで練習することが多く、
ひとりよがりにはなっていないか?
第3者的な視点を自分に持って、自分をよく振り返らなければ。。。


人にやさしく。
自分には果てしなく厳しく。

射は正しきを己に求む。


矢数をかけると、
いろいろな気持ちを思い出してくる。


ビデオカメラをまわし、
自分の射を常時チェックして、
もっと練習する時間を作ろう。。。

そしてようやく
週1回平日の夜に練習をしているところです。

続けなければ。



200射会 と 自分自身 [応援]

夏合宿の200射会。
仮に100射会になった場合でも。

矢数を引く射会や射込みには、
参加したいという気持ちはあります。

むしろ
自分で毎年200射を引ききって、
200なんて数は、
引こうと思えばいつでも引けるんだと
言い放てるくらいでありたいと思っています。

・・・まあしかし、
矢取りもしないOBに200射も引かれたら、
それだけで現役生の仕事の負担になると思うので、
200射会に参戦するなら、
仕事もやらなければと思う一方で、
慣れないOBが仕事をして、
結局現役生の迷惑になるだけだとも思っています。。。 orz

・・・夏合宿で、
矢数を引く射込みは無くなったとしたら、
それはそれですが(笑)


しかし最近は、
日程的に参加できないという理由もあるのですが、
200射会には参戦していません。
自分の過去の記録を見ていると、
2009年が最後です。

残念ながら、
今の自分の準備不足状態では、
200射はマトモに引けないからです。
それを体感してしまっているので、
下手に200射会に参戦はできないと思っています。
(昨年2015年は日程的に参加してはいましたが、108射で終了しています。)



2009年を境に、
200射会に参加しなくなった理由というのは、
このブログでも語ったことがありますが、
その年の200射会で、
普段使っていなかったグラス弓(永野一萃作の和弓つくり一萃並寸19kg)を使って
100射以上引き続けた影響で、
自分が既にメインで使っていた永野一萃20kg並寸の竹弓に戻したときにですら、
離れが出なくなったことに端を発しています。



もとはと言えば、
当然私も初心のときからグラス弓を手にし、
大学生・大学院生・その後卒業してからも
グラス弓(直心Ⅰカーボン18kg並寸・直心Ⅱカーボン20kg並寸)を使っていました。

しかし五段に昇段してからというものの、
全国区の大会の県代表の選考を通るためには、
竹弓以外を使用してはいけないという試合が出てきました。
さらに
錬士を受審するためには、
竹弓・竹矢を使うことが原則ということで、
竹弓を使う状況に追い込まれて、
ようやく竹弓を使いだしたという経緯があります。


竹弓を使いだして、慣れてきたところなのに、
200射会でグラス弓を使おうと思ったのは、
国体選手を目指していたからでした。

当時埼玉県の国体の強化選手になっていた頃に、
遠的の得点があまり伸びませんでした。
国体の遠的は、1mの色的で、
真ん中の黄色10点・その周囲の9点になかなか入らず、
なんとかしないと、、と思っていたときに、
その原因は、弓手が弱いためだろうと考えていたため、
この200射会の機会に、弓手を徹底的に鍛えようと思ってやったことです。

また、国体の地方ブロック大会が実施されるのは、
だいたい8月下旬の残暑が厳しい時期。
仮に選手になれたとしても、
竹弓には酷な条件になるし、
実際に関東ブロック大会で、試合中に竹弓を壊した人も見たことがあります。
さらに錬士以上の称号者でも、国体ではグラス弓を使う人を見ていたので、
もしグラス弓と竹弓を併用することができれば、
夏場でも安心して競技に専念できるのではないかと考えていたのも
ひとつの理由でした。



しかし実際に
200射会でグラス弓を引き続けたときに、
100射を越えたあたりから、異変がでてきました。

離れが引っかかる。
無理やり親指を撥ねないと、離せない。
的2個分も矢が前に飛ぶことがでてきた。。。

今でも続く、自分の持論ですが、
離れのキッカケを作るのは、妻手の親指ではありません。
しっかりと自分の矢尺をとること。
そして弓手を押し続けること。
それがキッカケとなって、
弦がかけの帽子を起こし、弦がかけの弦枕を乗り上がってきて、
離れが出るのです。
(初心のうちとか、八節の徒手練習のときには、
 親指を撥ねる意識は必要だと思っていますが、
 自分としては、親指を撥ねることに意識を取られ過ぎると、
 妻手の弾きと弓手の押しに時間差が生じて、
 (弓手の押すチカラを働かせ続けたまま、離れが出ない、という感覚)
 矢所や離れの動作自体が安定しないように感じています。
 もしかすると、私が下手なのか、
不器用なだけなのかもしれませんが・・・(笑))

しかし無理矢理妻手の親指を弾いたり、
何かやらないと、離れが全く出ず、矢が飛ばなくなりました。

その後自分の竹弓に戻して、
残りの100射近くを引きましたが、
離そうと思ったところで、全く離れが出せなくなりました。

疲れただけだろうと思って、翌日引いてみると、
巻藁でも離れが出なくなっていました。

自分の限界は突破したけど、その先の本当の限度を迎えてしまった。
という感じでした。


その後、その離れが出ない状態は、
2週間近く後を引きずり、
高校・大学弓道経験者に東京武道館に集結してもらって
お盆休みを利用して、私が主催した大会でも、
離れが全く出ない状況は続きました。

その時は、かけの弦枕を削って調整することと、
射を弓手だけに頼らず、カラダ全体を使って引いてくる意識で
何とか窮状を脱しましたが、

この頃を境に、
自分の引き方の根本を見直さないと、
この先、自分の目指す弓は引けなくなると考え、
もう一度基本に戻り、
川越に住んでいたころにお世話になっていた先生の指導のもと、
基礎を打ち立てるまで巻藁を引き続けることを決意した訳ですが。。。



こんな状態になったのは、
200射会のせいではありません。
矢数をかけすぎたせいではありません。


自分の準備が、不足していただけです。


2009年当時の練習量は、
おそらく週末土日の2日間は引くとして、
平日に引けて1日か2日、
その時の矢数は20射に満たないくらいしか引けませんでした。

だいたい市営・県営の弓道場というのは、
9~21時までの時間帯で使えるというものであり、
平日にいくら仕事を早く上がったとしても、
19時から準備開始、そこから片付けの時間を考えても、
やはり20射程度の矢数が限度でした。

週末土日には、ほとんど毎週試合が入っていたため、
その後練習できたとしても、40~60射が限度。。。


2015年の今なんて、もうひどいもんです。
仕事は、平日いくら最速であがっても、
市営弓道場が遠く、練習開始が19時半で、
何をしに道場に行くのかわからないような状況。。。

今の練習拠点の神社の弓道場に行けば、そういう状況は解消されるのですが、
どんなに仕事を段取りしても、
突発対応を迫られ、午前様になる日が月に4,5日あるような仕事内容なので、
平日はとても練習ができる状況ではありません。
休日も、子供の相手をしたいというのもあって、
土日のどちらかだけを練習に充てることしかできず、
週に1回、練習時間を確保するのが精いっぱいという状況となってしまっています。


200射会を実行するにあたって、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所(環境)』がどうしても必要になってしまうというのは、
自分の経験上、話をしていることでもあります。



・・・しかし
いくら準備をしていない状況とはいえ、
年齢とともに体力が衰えていく状況とはいえ、
200射引いたくらいで壊れてしまう射、
竹弓からグラス弓に弓を変えたくらいで壊れてしまう射というのは、
やはりなさけないと思います。

自分自身の置かれている環境を
少しでも変える努力というものが足らないのかなぁと思いながら、
仕事と家庭に追われて日々過ごしています。。。。


・・・最近は、
自分の射を見せて、率先垂範ができない私自身が、
学生時代に、何の結果も残せてない、
社会人弓道でも、何の結果も残せてない私自身が、
大学弓道部を指導する立場でいていいのか、
疑問に思うことがあります。。。

自分自身が育ち、
自分自身の生きるチカラをもらった場所を
何かしらのカタチで支援したいという気持ちには
揺るぎはないのですが。。。



たぶん [日記]

年内最後の投稿になるかと思います。

このブログは、会社の昼休み時間を利用して書いているのですが、
今日で仕事納めで、
明日には一家で実家の栃木県に引き揚げますので。。。

たぶん私と嫁の実家渡り+なんやかんやらの行事で、
落ち着いてPCの前に座っている時間はできないかと。。。


・・・寝ている時間のほうが長くなるかも。。。(笑)

弓は引きたいが、場所と時間がありませぬ orz



ということで、
今年1年、
こんな独り言におつきあいいただき、
ありがとうございました。


来年以降も、
懲りずに自分の魂を置いていきますので、
よろしくお願い申し上げます。


みなさん メリークリスマス & ハッピーニューイヤー

夏合宿200射会について思うこと 4 [応援]

「今の部活の状態を、良く振り返ること」

200射会という
どう考えても過酷な射会を開催したとして、
その年のチームの部員は本当についていけるのか?

毎年入部してくる1年生。その中には弓を引いて数か月の人もいます。
班長を中心として夏合宿を牽引する2年生。
部活を運営する3年生。
違った立場で部活を見守る4年生。

毎年、部員は変わっていきます。
アタリマエですが、同じ人じゃないです。

さらに
夏合宿や、夏場の試合の開催日程が、
ここ数年変動しており、
夏合宿と関甲信の日程が近くなることが増えてきております。

2年前に、関甲信が近いということで、
射込みの100射会(例年の半分の射数)としたのは、
英断だと私は思います。

『毎年恒例』というのは、
聞こえはいいですが、
一歩間違えると、その言葉で、
現状を把握しようとすることを忘れてしまうことがあります。

今の部員の状態、チームの状態で、
本当に200射会でいいのか?
他の道を選択するべきなのか?
幹部はよく他のメンバーと話あって、
最終決断をしてほしいと思います。

全員で話合って、納得した結果としての選択であれば、
私は口をはさむことはしません。
その決断を支援しようと思います。



「自分たちの立てた目標を、心に思い浮かべること」

先述の話で出したラグビー日本代表の
ワールドカップベスト8という目標は、
かなりのチャレンジな目標だったと思います。

毎年ワールドカップで勝利できず、
日本の代表に選ばれるような選手でも、
諦めるという気持ちが、少なからず働いてしまうような、
そんな非常に高い目標だと思っています。

そんな高い壁を乗り越えるために、
試行錯誤をして、
新たな練習を取り入れ、それに取り組み、
自分たちの心に
『勝つためにベストは 全て尽くした』
という自信を植え付けたのだと思います。

過去に勝ったことがないと、思考が過去に引きずられそうになっても、
負けるかもしれないと、思考が未来に飛びそうになっても、
自分たちは、
国を背負うだけのチカラを持っているというプライドを打ち立て、
常に今の自分たちに集中できるような環境を作っていったのだと思います。

ただ。
この話の前提として流れているのは、
ワールドカップベスト8という『目標』です。

この壮大な目標を掲げ、
そのために、いまできること、という観点で、
それに繋がるタイムスケジュール、ビジョン、練習が組まれています。


ここで
われわれ埼玉大学弓道部に焦点を向けてみましょう。

我々の現在の最終目標は
『伊勢に 王座に出場すること』でしょう。
ここ数年は、この目標が現実味を帯びてきているように感じています。

さてそんなチームの一員が、
合同練の矢数だけでへばっているとか、
試合の20射を引いて、手の内を壊したとか、
数引いて疲れたから中らないとか、
5立目の最終立になったら、記録ミス、看的ミスを連発したとか、
仕事の質が明らかに落ちてきたとか、
試合運営、進行を手順良く進められないだとか。。。

ありえないと思いませんか?


この『伊勢に 王座に出場する』という目標は、
部会を通し、幹部の承認と同時に、
部員全員の承認を得ている目標のはずです。

年度の途中で入部する1年生は別ですが、
部員全員が集まるはずの部会の承認を受けている目標のはずです。

その目標に対して、
自分たちの全身全霊を賭けるのが、
私は普通だと思っています。

この我々がなかなか達成することができていない
壮大な目標を達成するために
自分たちに自分たちで課す一つの試練として、
200射会を夏合宿に持ってくるというのは、
意義があることではないかと思います。



そもそも、
200射会というものを、
どの代で誰が始めたのかは、未だにわかりません。

ただ私が現役学生の時、
その当時良く道場に来ていたOBや、
先輩たちの雰囲気から感じた限りでは、
おそらくこの200射会、
年間のビジョンの中のこういう位置づけとか、
この射会にどんな意味を持たせるとか、
全く考えられていなかったのではないかと思います。

私の推測では、
『他の大学とかでは100射会をやっているが、うちはその倍の200射会をやろう』
・・・たぶんそんな軽いノリで始められたものが、
なんとなく毎年辞められなくなって、
20年以上も続いてきたのではないかと思っています。


ただ私自身は、
学生時代、OBになってから、
この200射会で、
自分の可能性や、自分の射の脆さや、
仕事に対する意識や、制限時間を区切ったときの意識など、
いろいろなものを学んできました。


その200射会がなくなってしまうのは、
少し寂しい気もしますが、
自分たちの部活の状態、自分たちの目標を振り返って、
最終決断をして頂ければと、考えています。



・・・ここらへんで
200射会の賛否ついての話を終えようとおもいますが、
OBになってから参加した200射会の話やら、
いまだに自分の戒めの言葉となっている先輩から言われたキツイ一言やら、
200射会の最高矢数の話やら、
そもそも埼玉大学弓道部の部員が、どれほど矢数を引いてきているのか、
ナンダカンダといろいろ思い浮かんできたので、
もう少し話をしていこうかと思います。



夏合宿200射会について思うこと 3 [応援]

『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所』がどうしても必要になるのに、
この条件を満たしてまで、
200射会をやる価値がどこにあるのか?


200射会賛成派の私に言わせれば、
十分に価値はあると思っています。
それは、
部活として、自分たちに相当な自信がないと成立しない射会だからです。
また、
自分自身を磨くための『修羅場体験』をするには、てっとり早い方法だからです。



当然、個々人の集中力・射術・体力の耐久力を問われます。
ある程度矢数かかかっても、
崩れにくい射技、手の内・体を傷めにくい射技を持っているかが問われます。

200射会における的中率は、
概ね立や試合の的中率くらいになってきます。
各個人が、どのくらいの中りを持っているかが問われます。

矢取り・的付けなどの仕事の精度とスピードが問われます。
班長および幹部の的確な指示出しも問われます。

1年生が入部してから、
約3ヶ月足らずの短期間で1年生を鍛え上げる
2年生と幹部の指導力や、
指導方法や指導の場の設定の仕方も、その射会で問われます。

それまでの弓道部活動で
何を積み上げてきたのかの総決算が、
200射会には如実に現れてきます。

個々人と団体としての能力が問われる、
個々人と団体としての魂が問われていると、私は思っています。

自分たちの心に プライドを打ち立てる。

そういう意味を持っている射会なのだと、
私自身は考えています。


今年は、ラグビー日本代表が、
ワールドカップで大金星を挙げたということで、
非常に注目を集めていますが、
そのラグビー日本代表が行っていた練習というのを
この間テレビで見ました。

フィジカルのトレーニング、
技術的なトレーニング、
ゲーム形式の練習だけでなく、
ボクシングで体幹の筋肉を鍛えたり、
生卵でパスをして柔らかいパスワークの練習をしたり、
各選手にGPSをつけてもらって、
その選手のゲーム時の動きから練習メニューを決めるといった試みや、
ドローンを使って布陣を俯瞰的に見るといった試みや、、、、

非常に工夫を凝らし、
ワールドカップベスト8という
壮大な目標を達成するために、
考えられうることはすべて実行に移し、
国を背負うためのプライドを心に打ち立てる。
そんな練習だと、私の目には映りました。



『修羅場体験』というのは、
やらなくて済むのであれば、
やらない方がいいんではないかと思うこともあります。

しかし、社会に出てから体験したことと、
学生時代に体験したことを比較すると、
学生時代に弓道部であれだけのことをやってきたんだから、
やってやれないことはないと思ってしまう自分がいるのは、
おそらく200射会に限らず、
弓道部で多くの修羅場体験をしてきたからだと思います。

弓道部時代で経験した体力的、精神的に過酷な体験に比べると、
社会に出てから経験したことなんて
全く問題にならないと思ってしまう自分がいます。

(もっとも、就いた職の種類や業種にもよるのかもしれませんが。。。
 さすがに私も、技術職から営業職に転勤させられたとき、
 埼玉から愛知に転勤を言い渡されたときには、
 心が折れそうになりました。。。
 ただそれでも頑張れたのは、弓道部活動の経験があったからこそだと信じています。)


『修羅場体験』というのは、
これから生きていれば必ず出くわすことです。

実際の仕事でもそうですが、
就職活動でも『圧迫面接』というものがあり、
わざと負荷をかけるような状況に追い込んで、
その人の本性を引き出したり、
ストレス耐性を試すというようなことも行われているようです。

私の会社では、昇格研修などで、
インバスケットという研修があります。

突然、全く自分の仕事とは関係のないような会社で、
別の部署の部長が病気で倒れたため、
その後任を自分に命じられるという
現実では絶対ありえないような想定を提示されます。

さらにその引き継ぎで会社に来てみたが、
自分自身はあと2時間で海外出張に行かなければならず、
電話もメールもできないような状況で、
伝達手段はメモだけ。

前の部長の残していった20枚くらいのA4の紙に書かれた
未処理案件をさばかなければならないという状況に追い込まれます。

そして会ったこともない部下たちに、
それぞれの未処理案件に、メモ用紙だけで指示を出していきます。
本当に普段ではありえない想定の研修です。

しかし
こういう時間的にも精神的にも
追い込まれているところで出す指示で、
その人の個人の考え方の癖やら、
問題の掘り下げ方、問題の解決方法やら、
優先順位の付け方やら、
前述のストレス耐性やら、
これから組織において部下を動かすにあたって
必要な資質があるのかどうかということが見えてくるそうです。

これは「制限時間」が設けられているからこそ、
こういった考え方の癖や、個人の資質というものが、
書いた指示に見られてくるという話をしていました。

実際にこの先を生きるにあたって、
弓道と状況こそは違えども、
『修羅場体験』の場を設定して、
それを乗り越えた経験というものは、
大切なのではないかなぁと、
私自身は考えています。



しかし。

時間制限もあり、
体力的にも精神的にも過酷な200射会が、
今の部活を振り返ったときに、本当に適切なものかどうなのか?

部活の現状を振り返ったとき、
200射会は、
この先を向かう試合を勝ち抜くにあたって、
何か意味があるか?

そう聞かれると、
直接的な意味合いというのは無いと言わざるを得ません。

自信を植え付けるというのも、
修羅場体験の場を設けるというのも、
間接的に働くだけになってしまうというのは、否定できません。


自分たちの自信を、プライドを証明したところで、
試合には勝てるとは限りません。
もっと実践的な試合形式を繰り返した方がいいんじゃないですか?
もっと他校との練習試合を組んだ方がいいんじゃないですか?と言われたら、
否定できません。

200射会をやったはいいけど、
部員の体や射を壊すことになって、
その後の活動や試合に影響が出ませんか?と言われたら、
その可能性はあると言わざるを得ません。

合同練・試合での仕事の精度を上げる場合、
やはり実践的な作業を確認して、
繰り返し行う方がいいんじゃないですか?と言われたら、
何も言い返せません。

たしかに200射会で経験するような、
普段では絶対壊さないような手の内の壊し方をしたり、
普段では絶対痛みがでないようなところを痛めたり、
一人1回30本くらいの矢取りの量や、
ひとつかみで掴みきれないくらいの矢の束の矢拭きなど、
普段ではまずそんな状況は発生しないと思います。



それでも200射会をやるのか?



この決断をする上で、
一番気をつけなければならないのは、
「今の部活の状態を、良く振り返ること」
「自分たちの立てた目標を、心に思い浮かべること」です。



つづく。


夏合宿200射会について思うこと 2 [応援]

数を引いたことがある。
200射引いたことがある。
やろうと思えば、いくらでも引ける。

そういう経験と自信を、自分の中に刷り込んでおくのは、
弓道部活動をしていく上で、
試合に向き合う上で、プラスに働くのではないかと思います。

どんなに心理的な消耗をしても、
絶対的なスタミナがある。
数がかかっても、負けない。
競射になっても、技が崩れない。
矢数が引けるというのは、それだけで価値だと思います。


ということで、
いちどは200射なる矢数を経験しておいてほしいので、
200射会賛成という自分の意見なのですが、
一方で、そろそろ幕引きをした方がいいのかもしれないと考えているのは、
200射会を実行するにあたって、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所』がどうしても必要になってしまうためです。


仮に、
私自身が200射会に再度参加して、
矢取りなどの仕事をしながら、
時間内に終了させるとなった場合、

200射会を引き切る準備、参加する準備として、
必要だと思っているのは、
少なくも3ヵ月以上、週に3~4回以上の練習をしていること。
そのときには少なくも1日に20~60射を引いている必要があり、
その3ヵ月の間に、5~6回は、
100射とか160射とか200射の矢数をかけて、
矢数を増やしたり減らしたりするという時期が必要だと思います。

そういう準備をしていないと、
200射会で、体力はもちろんですが、
弓手の手の内(虎口、矢枕など)がまず耐えられません。
弓手の手の内の皮膚は、角質と化していなければ、
水疱とか肉刺ができて、
自分の技に集中して引くということが難しくなってきます。
それでも200射会中に、
角質となった皮膚の固い部分が、
柔らかい部分を圧迫して、
親指だの小指だのを裂傷してしまう可能性があります。
そうすると的張り・安土整備など、
水仕事にも集中できません。
行射前にかけを差すに加え、
手の内をテーピングやら押手かけやらで保護する必要がでてくるため、
時間のロスを作ってしまいます。
下手すると、
妻手の方も、かけをしていても、
弦枕の下の親指の根本の皮膚とか、
矢筈の当たる位置の皮膚とかが、痛くなってきます。
(同じことを200回も繰り返すということは、
 普段ではありえないアクシデントが起こるものです。)

個人として200射は引けても、
1日の短い時間で射会として200射を引く場合は、
矢取りもあり、その他の仕事もあり、
行射にばかり集中していられない状態となります。
射位を常に射手で埋める配慮をしなければならず、
妻手にかけを差す時間もあり、
本座で矢番えし、打起しまでの準備段階に時間をかけないようにする必要もあるので、
普段よりもハイペースで引き続ける必要が出てくるため、
やはり普通の個人練で200射引くのとは、
全く別モノになると思います。


200射会で、矢取り間に時間のロスを作らないためには、
仕事の精度とスピードが必要でしょう。

班長の「矢取り行きます」の声かけのタイミングが
数秒狂っただけで、
矢取りの回転が止まります。

200射会ですから、
矢道に矢が落ちたり、
安土で矢が寝たりは当然あります。
矢の処置を体で覚えておかず、
矢の処置はどうするんだっけ?とあれこれ考えていて、
その処置を1秒でも遅らせれば、
道場で矢を番えて待っている人を1秒以上待たせることになります。

的に風穴が開いたり、
(今は200射会でビニール的使っていますのでほとんどありませんが、
 昔はフツウに貼った的使っていたので、
 中っても音がしなかったので、交換してこいと言われたことがありました。
 その辺も現在は改良されている点です。)
的枠に矢が刺さって、
的の交換を強いられることもあります。
幹部に確認してもらわなくとも、
一発で的付けできる高さを研究して、
的付けという仕事に自信を持っていないと、
それもやはり道場で矢を番えて待っている人を待たせることになります。

安全確認ミスしようものなら、
その人本人もそうでしょうけど、
幹部や班長の気持ちをイラつかせて、
その後の部員全体のパフォーマンスにも影響してきます。

仕事の精度を欠くこと、
仕事のスピードを欠くこと、
すべて、道場にいる射手にとっては、「間延び」です。
ただでさえ体力を消耗する200射会で、
「間延び」は余計に、部員全員の疲れを呼びます。
疲れは余計に、部員全員の時間のロスを招きます。

仕事の精度とスピードを向上させ、
それを維持させる意識を持っていないと、
200射会朝の部・午前の部・午後の部で、
全員200射を引き切るなど、絶対無理でしょう。

仕事の責任なのだから、
1年生の責任であろうというのは間違いだと思います。
権限委譲という考え方もありますが、
200射の射込みの仕事を、全部1年生にまかせっきりというのは、
上級生の責任逃れにしか、私には見えません。
率先垂範して、OJT(On the Job Training)してもらいたいと思います。


ということで、
200射会を射会として成立させるためには、
まず個々人が相当な練習と準備を積んでいる必要があると思うのです。

『200射会のための練習』
『200射会のための準備』
が、どうしても必要になってしまうと考えています。


さらに
20年前の我々の学生の頃と
今現在では、
部員の総員数が全然違っています。

我々の頃というのは、
部員総数が30人越えないくらい。
5人の班が5つできたらそれで全員という時代でした。

ここ数年を振り返ってみると、
だいたい40人近くいると思います。
6~7人の班が6つくらいはできているはずです。

レシェントの道場は、
7的と6的
十分すぎるくらい広いとは思いますが、
40人近くの全員が200射引き切るには、
6~7的の道場が、あと1射場くらいは必要なのかなと思うこともあります。
レシェントの道場であれば、
巻藁をどこかに一時退避させている必要もあろうかと思います。
(巻藁引けないというのも痛いので、
 矢筒を置いてある位置に向きを変えて1台だけ設置するとか。)

200射会を実施するにあたって、
まだ的前に上がっていない1年生がいるというのは、致命的です。
今年、巻藁を引いている1人が引き終わるまで
全員取懸けを待つというシーンがありましたが、
(巻藁の向こう側のシャッターを開けていたため)
これは確実に時間のロスです。

しかし、
夏合宿でもまだ的前に上がっていない1年生がいるという
その理由というのも、
1年生の個々の努力が決して足らないわけではなく、
埼玉大学弓道場自体の収容人数がキャパオーバーしていて、
巻藁を引きたくても引けない、
引く時間が取れないというのも、ひとつの原因なのかもしれません。
(的前にすぐに上げてしまうというのもひとつの手ですが、
 埼玉に住んでいた時、
 市営弓道場の初心者弓道教室の講師だったころ、
 教室開始2回目で、全く弓を触ったことのない素人さんに
 弓に矢を番えさせて、
 矢道の半分の距離から発射させることを、やらされていましたが、
 素人さんにいきなり弓に矢を番えさせて離させるのは、
 本当に怖いです、、、
 近距離でも屋根に吹っ飛ばすのを何度も見ています。

 埼玉大学弓道部に入ったのであれば、
 本当に基礎をガッチリ固めて、
 手順を踏んで、確実に成長していってほしいと願う次第です。。。

 それでも1年生が早く的前に上がるために、
 努力をしてもらいたいというのも希望です。
 私は早く的前を引きたいということで、
 1年の5月くらい、
 当時参加資格のなかった金曜強化練終了後に道場に行って、
 先輩から『お前なんでこんな時間に来んだよ・・・』と苦笑されながら、
 巻藁500本ノルマをこなしていたこともあります。
 ちなみに20年前の的前までの手順は、
 八節→ゴム弓→素引き→巻藁500本以上→幹部の承認
 →的前100本以上・巻藁100本以上→幹部の承認→合同練で立に参加可能
 というシステムでした。
 この手順を私自身、4月アタマ入部で5月末には終わらせていました。
 それで6月の南関東四大戦に個人出場しています。
 かけを変えたときに巻藁200本引いた後に、
 幹部に承認を受けるというかけノルマというシステムもありました。
 私は主将のときに四つかけに変えて、副将に承認を受けたということもありました。)



ということで、200射会を実行するにあたっては、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所』がどうしても必要になってしまうのですが、

この条件を満たしてまで、
200射会をやる価値がどこにあるのか?
というのが、
今後200射会の幕を下ろすのか
続行するのかの最大のポイントになると思います。



つづく。

夏合宿200射会について思うこと [応援]

戸狩温泉郷のレシェントの毎年の夏合宿。

調べてみたら、ワタクシ、
どうやら2004年から連続して参加しているらしいです^^;
11年連続か。。。

毎年毎年、学生の皆さんには、本当にお世話になってきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。

私がOB 2、3年目くらいの頃に、
山田監督が『これで大学の合宿は十数年連続で参加している』ようなことを聞いて
驚愕を受けたことを今でも覚えていますが、、、
私も、同じ、でした(笑)


そしてその11年間毎年参加した合宿のうち、
200射会に参戦したのは、
2004~2009年で6年連続。

この6年間は、
現役学生の皆さんの仕事のおかげで、すべて200射を引き切っています。


毎年恒例となっているこの200射会ですが、
私個人としては、
そろそろこの射会自体の意味を、
問わなければならない時期に来ているのかと思います。

そもそも、
どこの代が、いつ、200射会というものを始めたのかは、
未だに謎です。

ただ、
私より前の代で始められたのは間違いありませんので、
20年近く続いている行事だということは、
間違いありません。



私は、200射会賛成派です。

しかし、
現在の部員数、部活を取り巻く環境、
学生が考えている弓道・射の組み立て方、
夏合宿の日程を見通した時の200射会の役割、
もっと言うと、
1年の活動を見通した時の200射会の役割というものを
再考する必要があるのかと思います。

それらの環境を考えたときに、
200射会というものの意味が無いというのであれば、
長い歴史に幕を下ろし、
何か別のイベントを考える方がいいのかと思っています。

・・・とは言っても、
夏合宿というものは、
長いスパンで、1日中弓道にどっぷり浸かれる機会です。
こういう機会は、自分自身で作ることもできますが、
現在の学生の皆さんは、
勉学・アルバイト・その他の影響で
1日弓道しかしなかった、という時間を作るのは、なかなか難しいと思っています。
そういう機会に、
一日は矢数をかけるイベントは必要だとは思っているので、
200射会を実施しなかったとしたら、
射込みで100射を引く(要するに200射会を100射会にする)、
立で100射引く、
東京都学生弓道連盟主催で5月に実施されている
100射会(女子は50射の記録会)を真似てみるなど、
カタチを変えたものにした方がいいというのが、私の意見です。



まず、私自身が
200射会賛成派ということに関する理由を述べていきたいと思います。

理由は、
単に200射を引いたということが自信につながるから。
自分の限界を越えたとしても、弓は引ける、
自分の限界は自分で線を引くものではないということを体感してもらいたいからです。


まずもって、
『埼玉大学弓道部では、夏合宿に200射会というものがある』という話を
学生弓道経験者に話すと、
かなりびっくりされます。

私の聞いた話ですが、
個人練習として200射、300射引いたことがあるという人は、
これまでたくさん聞いたことがあります。
とある一人は、1日に500射引いたことがあるという話も聞いています。

それを、
部員全員で200射を引くという
『「射会」として成立させている』ということに
びっくりするのではないかと思います。


私自身も振り返ると、
こういった200射会というものがなかったら、
それ以降200射を引くという機会は
絶対なかったと思います。

全員で200射を引き切るぞと言われて、
200射を引かなければならない状況を作り出されたから、
200射を引く経験ができたと思っています。

皆さんもご存知だと思いますが、
私は大学で弓道を始めたクチです。
そんな弓道始めて半年も満たない、
それまでに1日に引いた最高矢数はせいぜい60射程度。
そんな何も知らない状態で200本も引かされたんですから、
たまったもんじゃありません。
200射なんて、想像を絶すると思っていました。

毎年夏合宿で200射会前後になると話をしているので
知っている方もいるかもしれませんが、
私は1年生のときの200射会で、
弓手の手の内をひどく壊しています。
(1年生のときの合宿は、今のレシェントではなく、
 山梨の河口湖付近の弓道場付きの宿だったと記憶しています。)

100射越えたあたりから、
親指と人差し指の股(虎口)が、鉄棒で水膨れができたときのようになって、
全部水疱になりました。
押しづらいので、その水疱を破って20射くらい引いたら、
今度はその皮がめくれてしまって、
邪魔で仕方なかったので、
痛みはあったのですが、
その皮を爪切りかハサミで全部切除しました。

皮の下の赤い部分がむき出しになって、
あれは本当に痛かったです。

それを、絆創膏を3枚くらい並べてはって、
テーピングで保護して、
さらに親指だけにかぶせる押手かけを先輩から借りて
(返せない状態になってしまって結局もらった(笑))
それで、矢取りをしながら、引きました。

結局時間内には終わらず、
たしか40~50射残った状態で、
2年の先輩に矢取りをしてもらいながら、
先輩たちに導いてもらいながら、夜の班活で引いた記憶があります。
時間内には終わりませんでしたが、
リタイヤせずに最後まで引き切れたことは、今でも心に残っている財産です。

(ちなみに的中率は、20~30/200とか2割満たなかったはず。。。
 当時13キロの弓をヒーヒー言いながら引いていたはずなので。。。
 しかもその弓というのが、かなり古い錬心で、
 弓力は重いくせに、まったく矢飛びが出ず、
 安土に届かない矢が大半、矢道で落ちた矢もかなりあった気もします。)

私の弓道人生、
先にも後にも、
弓手の手の内がこれほどの惨状になったことはありません。

しかしそれ以降の記憶として残っているのが、
弓手の手の内が全く使い物にならなかったにも関わらず、
200射会以降の日程で、わずかに的中率が向上してきたことでした。

相変わらず絆創膏+テーピング+押手かけの状態で、
弓のチカラを受けるのが精いっぱいっていう状態だったはずなのですが、
そんな状態でも、的の周りに矢が飛び始めてきました。

そしてその夏合宿の例会で8/20を出して、
当時の公式練習・例会の自己新で、
下がけをもらったと記憶しています。

・・・全く自慢できる記録じゃないですが(笑)
この経験から、
『弓って、
 手先のチカラなんて必要ねぇんだ、
 カラダをどう使うか、カラダに近いところをどう使うかがキモなんだ。
 手先の技術なんて、あんまり関係ねぇんだ、
 気合とかガッツってものだけで、なんとかなってしまう。
 学生弓道は、9割が気合だ。気持ちの持ち方だ。』
というものが
心の中に植え付けられました。

この夏合宿を境に、
自分自身の弓道への取り組み方が変わっていったように感じています。


まあ本当に私自身、
謙遜するでもなく、
弓道のセンスはゼロだと思います。

最近の現役学生の皆さんを見ていて、
基本的な技術のベースが、学生当時の私よりも格段に上手く、
まあこんな手の内の壊し方するのは、
俺くらいだよなぁ・・・と思っています(笑)


しかし、
200射会という
強制的にでも矢数を引かなければならない射会があったからこそ、
自分で自分の壁を感じたとしても、
ひたすら壁を叩き続けて、最後には絶対壁を叩き潰すことができるという信念が、
心に打ち立ったと思っています。

200射会で、
部活の先輩やみんなに支えてもらったから、
自分自身の限界を自分で作らずに、やってやるという信念が、
心に打ち立ったと思っています。


まあ、後輩たちには、
私のように、
手の内をひどくぶっ壊すような、痛い思いはさせたくはないですがね、、、(笑)



つづく。

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