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心に突き刺さっているコトバ [応援]

200射会というと、
自分の心の中に浮かんでくる言葉があります。

いや
200射会以外でも、
矢数がかかった練習をするときに、
いつでも心の中に浮かんでくる言葉と言っても過言ではありません。



『矢数がかかって手の内を壊すなんざ
単なるヘタクソなんだよ!!』

『100や200引いたくらいで
壊れるような射なんて
要らねぇんだよ!!』



この言葉を
1個上の男子の先輩から浴びせられたのは、
私が1年生の時の春合宿のときです。



私が3年の代までは、春合宿というものが存在していました。
その春合宿の内容というのは、
今現在、春季強化練をやっている時期(2月の末から追い出しコンパの前くらい)に、
大学構内の合宿所(プールの横の建物。今は機能しているかはわかりませんが。。。)で、
1週間合宿をするというもの。
練習メニューは、夏合宿の合同練と同様ですが、
立で1日40~50射くらいは最低引く内容(午前12~20射、午後20~32射)。
中日に四ツ矢25回、3~4人立の立射で100射引く100射会があり、
かなり矢数はかかった内容だったかと思います。

春合宿のルールは決まっていて、
大学構外に出るのは基本的に禁止。
朝昼晩の食事は全て学食。
昼、晩にはかならず揚げ物が出てくるという食事内容。
風呂は隣の学寮を使用し、
寮の休湯日は体育館のシャワーを使用することになっていました。


・・・これだけ見て、
勘のいい皆さんなら、口をそろえて言うかもしれません。


こんな合宿、する意味が無いと(笑)


現在の春季強化練も、
春季とは名ばかりの非常に寒い時期に強化練をしていると思います。
ただ、
その後の練習試合、春季トーナメント予選を見据えたとき、
新入生勧誘、大学の授業開始を見据えたときに、
春季強化練の時期に、部活を起動させる必要が出てくるため、
寒い時期にはなるのですが、
やはり追い出しコンパ前の時期に実施するのが望ましいことは
間違いないかと思います。

しかしそんな寒い時期に、
大学構内の合宿所に、わざわざ泊まって合宿をやる意味と言ったら、
朝8~9時に練習スタートとかも可能なため、
立で矢数がかけられることくらいです。
実際に、寒い時期の合宿だったこと、
さらに食事も決してバランスが良いとは言えない内容で、
春合宿で体調を崩す人が続出していましたし、
大学構外に出てはいけないというルールもあまり意味をなさないということで、
私の1個下の代で、春季強化練に変わったという経緯があります。


普段の合同練などでは
大学の弓道場の掃除をしない男子が、
春合宿では道場掃除が担当になることもありました。
(夏合宿の班分け毎に仕事が決まっていて、
 道場掃除の当番になるのと一緒です)

ただでさえ慣れない道場掃除の上、
2年生にあがる直前の話だったので、
夏合宿の200射会ほど手の内を壊すことはなかったのですが、
親指の関節の皮膚やら、小指の付け根やらが
パックリ割れることはしばしばで、
そんな状況での水仕事は、
非常に辛かったことを覚えています。

掃除が終わってすぐに初立ということもあったので、
絆創膏やテーピング、
押手かけなどの準備もしなければならないという意識が働き、
雑巾がけが終わるとすぐに救急箱に向かって、
手の内の保護を始めていた。
他の1年も何人か、同じ目的で、
わらわらと集まっていたところ。。。

「何やってんだよ」

とその先輩から一言。

その先輩の言い分では、
掃除がなかなか終わらないので、
掃除の手を止めて、1年が何をしているのかということであった。

「いや掃除が終わったら、すぐ初立なので、準備を・・・」

そこで言われた。
「ああん?
矢数がかかって手の内を壊すなんざ
単なるヘタクソなんだよ!!」



正直、理不尽だと思った。

弓道始めて1年も満たない自分自身が、
ヘタクソであたりまえ、
そんなこと言われる筋合いはないと思いながらも、
その場はぐっと堪えたが、、、

他の1年から反論する者が出てきて、
どういった経緯で、
春合宿の射数の話になったかわからなかったが、
1日に立で引く本数も多すぎる、
合宿中に、休息する時間も設けられていない、
このままでは、部員の射が崩れて、
積み上げてきたものも何の意味もなくなる。。。的な反論をしたところ。。。


そこで言われた。
「100や200引いたくらいで
壊れるような射なんて
要らねぇんだよ!!」



確かその時の言い合いは、
お互いの意見を言うだけ言って、終わっただけになったが。。。

その言い合いで、
何の反論もできなかった自分自身、
ただ言われた言葉が、強烈に心に突き刺さった。



確かにヘタクソだけど、
これまであまりにも、手の内に関して考えなさすぎだったんじゃないのか。。。
初心者だから、って言葉に、甘えてなかったか?
普段の準備が悪いから、
普段から矢数かけてないから、
こういう合宿で手の内も壊すし、
射も壊すんじゃないのか。。。

昨年指をくわえて、Ⅰ部から陥落したのが
悔しかったんじゃなかったのか。。。

あれは、口先だけの悔しさだったのか。。。?

こんな春合宿程度の矢数で負けていては、
今年のⅠ部昇格なんて、夢のまた夢。

ヘタクソとか、
脆い射なんていらねぇなんて言われないくらいに、練習しよう。
自分の目指すところは、
矢数の向こうにしかない。



それ以降、
矢数がかかったからと言って、
甘えることはしなくなった。

むしろ、
言われた言葉が自分自身の行動指針になった。


この程度の矢数で崩れるような射はいらない。
それは単純にヘタクソなだけだ。
練習が足らない。意識が足らない。
引け。
チカラの限り引け。
根性見せてみろ。


・・・しかし、
100や200引いても崩れない射、、、
どんなに練習していた時期でも、
それには到達したことがない。。。。
今まで弓道を20年以上続けてきて、
そこには到達したことがない。。。。

今でも、自分自身の戒めの言葉となって、
心の中に突き刺さっている。



・・・だが、
基本的に、
自分でできていないことは、
教えられない、意見できないと考えているし、
この心に突き刺さった言葉を、後輩たちに言う気はない。

この言葉を浴びせられたときには、
あまり気分いいものではなかった。

最近の月刊弓道で、
丁寧な教え方をしても、
その人の財産にはならない。
意地悪な教え方の方が、
その人のためにはなるという話を読んだことがある。

弓道を続けていく上で、
一生忘れられないような
強烈な言葉を突き付けてくれた先輩には感謝しているが、
この言葉を聞いたときには、
やはりあまり気分いいものではなかった。

自分が言われて、やられて嫌だったことは、
他の人に、後輩に、言わない。やらない。
自分に言われる、やられる分には、構わない。
でもそれは、自分のところですべて止めると、心に決めよう。
そうした戒めを、
心に刻んでいるつもりではいるが。。。

今の自分を振り返ると、どうなのか。。。
最近の自分は、ひとりで練習することが多く、
ひとりよがりにはなっていないか?
第3者的な視点を自分に持って、自分をよく振り返らなければ。。。


人にやさしく。
自分には果てしなく厳しく。

射は正しきを己に求む。


矢数をかけると、
いろいろな気持ちを思い出してくる。


ビデオカメラをまわし、
自分の射を常時チェックして、
もっと練習する時間を作ろう。。。

そしてようやく
週1回平日の夜に練習をしているところです。

続けなければ。



200射会 と 自分自身 [応援]

夏合宿の200射会。
仮に100射会になった場合でも。

矢数を引く射会や射込みには、
参加したいという気持ちはあります。

むしろ
自分で毎年200射を引ききって、
200なんて数は、
引こうと思えばいつでも引けるんだと
言い放てるくらいでありたいと思っています。

・・・まあしかし、
矢取りもしないOBに200射も引かれたら、
それだけで現役生の仕事の負担になると思うので、
200射会に参戦するなら、
仕事もやらなければと思う一方で、
慣れないOBが仕事をして、
結局現役生の迷惑になるだけだとも思っています。。。 orz

・・・夏合宿で、
矢数を引く射込みは無くなったとしたら、
それはそれですが(笑)


しかし最近は、
日程的に参加できないという理由もあるのですが、
200射会には参戦していません。
自分の過去の記録を見ていると、
2009年が最後です。

残念ながら、
今の自分の準備不足状態では、
200射はマトモに引けないからです。
それを体感してしまっているので、
下手に200射会に参戦はできないと思っています。
(昨年2015年は日程的に参加してはいましたが、108射で終了しています。)



2009年を境に、
200射会に参加しなくなった理由というのは、
このブログでも語ったことがありますが、
その年の200射会で、
普段使っていなかったグラス弓(永野一萃作の和弓つくり一萃並寸19kg)を使って
100射以上引き続けた影響で、
自分が既にメインで使っていた永野一萃20kg並寸の竹弓に戻したときにですら、
離れが出なくなったことに端を発しています。



もとはと言えば、
当然私も初心のときからグラス弓を手にし、
大学生・大学院生・その後卒業してからも
グラス弓(直心Ⅰカーボン18kg並寸・直心Ⅱカーボン20kg並寸)を使っていました。

しかし五段に昇段してからというものの、
全国区の大会の県代表の選考を通るためには、
竹弓以外を使用してはいけないという試合が出てきました。
さらに
錬士を受審するためには、
竹弓・竹矢を使うことが原則ということで、
竹弓を使う状況に追い込まれて、
ようやく竹弓を使いだしたという経緯があります。


竹弓を使いだして、慣れてきたところなのに、
200射会でグラス弓を使おうと思ったのは、
国体選手を目指していたからでした。

当時埼玉県の国体の強化選手になっていた頃に、
遠的の得点があまり伸びませんでした。
国体の遠的は、1mの色的で、
真ん中の黄色10点・その周囲の9点になかなか入らず、
なんとかしないと、、と思っていたときに、
その原因は、弓手が弱いためだろうと考えていたため、
この200射会の機会に、弓手を徹底的に鍛えようと思ってやったことです。

また、国体の地方ブロック大会が実施されるのは、
だいたい8月下旬の残暑が厳しい時期。
仮に選手になれたとしても、
竹弓には酷な条件になるし、
実際に関東ブロック大会で、試合中に竹弓を壊した人も見たことがあります。
さらに錬士以上の称号者でも、国体ではグラス弓を使う人を見ていたので、
もしグラス弓と竹弓を併用することができれば、
夏場でも安心して競技に専念できるのではないかと考えていたのも
ひとつの理由でした。



しかし実際に
200射会でグラス弓を引き続けたときに、
100射を越えたあたりから、異変がでてきました。

離れが引っかかる。
無理やり親指を撥ねないと、離せない。
的2個分も矢が前に飛ぶことがでてきた。。。

今でも続く、自分の持論ですが、
離れのキッカケを作るのは、妻手の親指ではありません。
しっかりと自分の矢尺をとること。
そして弓手を押し続けること。
それがキッカケとなって、
弦がかけの帽子を起こし、弦がかけの弦枕を乗り上がってきて、
離れが出るのです。
(初心のうちとか、八節の徒手練習のときには、
 親指を撥ねる意識は必要だと思っていますが、
 自分としては、親指を撥ねることに意識を取られ過ぎると、
 妻手の弾きと弓手の押しに時間差が生じて、
 (弓手の押すチカラを働かせ続けたまま、離れが出ない、という感覚)
 矢所や離れの動作自体が安定しないように感じています。
 もしかすると、私が下手なのか、
不器用なだけなのかもしれませんが・・・(笑))

しかし無理矢理妻手の親指を弾いたり、
何かやらないと、離れが全く出ず、矢が飛ばなくなりました。

その後自分の竹弓に戻して、
残りの100射近くを引きましたが、
離そうと思ったところで、全く離れが出せなくなりました。

疲れただけだろうと思って、翌日引いてみると、
巻藁でも離れが出なくなっていました。

自分の限界は突破したけど、その先の本当の限度を迎えてしまった。
という感じでした。


その後、その離れが出ない状態は、
2週間近く後を引きずり、
高校・大学弓道経験者に東京武道館に集結してもらって
お盆休みを利用して、私が主催した大会でも、
離れが全く出ない状況は続きました。

その時は、かけの弦枕を削って調整することと、
射を弓手だけに頼らず、カラダ全体を使って引いてくる意識で
何とか窮状を脱しましたが、

この頃を境に、
自分の引き方の根本を見直さないと、
この先、自分の目指す弓は引けなくなると考え、
もう一度基本に戻り、
川越に住んでいたころにお世話になっていた先生の指導のもと、
基礎を打ち立てるまで巻藁を引き続けることを決意した訳ですが。。。



こんな状態になったのは、
200射会のせいではありません。
矢数をかけすぎたせいではありません。


自分の準備が、不足していただけです。


2009年当時の練習量は、
おそらく週末土日の2日間は引くとして、
平日に引けて1日か2日、
その時の矢数は20射に満たないくらいしか引けませんでした。

だいたい市営・県営の弓道場というのは、
9~21時までの時間帯で使えるというものであり、
平日にいくら仕事を早く上がったとしても、
19時から準備開始、そこから片付けの時間を考えても、
やはり20射程度の矢数が限度でした。

週末土日には、ほとんど毎週試合が入っていたため、
その後練習できたとしても、40~60射が限度。。。


2015年の今なんて、もうひどいもんです。
仕事は、平日いくら最速であがっても、
市営弓道場が遠く、練習開始が19時半で、
何をしに道場に行くのかわからないような状況。。。

今の練習拠点の神社の弓道場に行けば、そういう状況は解消されるのですが、
どんなに仕事を段取りしても、
突発対応を迫られ、午前様になる日が月に4,5日あるような仕事内容なので、
平日はとても練習ができる状況ではありません。
休日も、子供の相手をしたいというのもあって、
土日のどちらかだけを練習に充てることしかできず、
週に1回、練習時間を確保するのが精いっぱいという状況となってしまっています。


200射会を実行するにあたって、
『200射会のための練習』が必要であり、
『200射会のための準備』が必要であり、
『200射会のための場所(環境)』がどうしても必要になってしまうというのは、
自分の経験上、話をしていることでもあります。



・・・しかし
いくら準備をしていない状況とはいえ、
年齢とともに体力が衰えていく状況とはいえ、
200射引いたくらいで壊れてしまう射、
竹弓からグラス弓に弓を変えたくらいで壊れてしまう射というのは、
やはりなさけないと思います。

自分自身の置かれている環境を
少しでも変える努力というものが足らないのかなぁと思いながら、
仕事と家庭に追われて日々過ごしています。。。。


・・・最近は、
自分の射を見せて、率先垂範ができない私自身が、
学生時代に、何の結果も残せてない、
社会人弓道でも、何の結果も残せてない私自身が、
大学弓道部を指導する立場でいていいのか、
疑問に思うことがあります。。。

自分自身が育ち、
自分自身の生きるチカラをもらった場所を
何かしらのカタチで支援したいという気持ちには
揺るぎはないのですが。。。



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